*&ruby(ろくまるしきそうこうしゃ){【60式装甲車】}; [#f1895e4b]
1960年に[[防衛庁]]に制式採用され、[[陸上自衛隊]]で使用された装軌式の[[装甲兵員輸送車>APC]]。~
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陸自の前身である[[警察予備隊]]が創設された当初、隊員の戦場での機動手段としては[[アメリカ陸軍]]から貸与されたM3A1半装軌式トラック(ハーフトラック)が用いられていたが、同車の老朽化・陳腐化にともない、日本の国情にあった装甲車が必要とされたことから1951年より開発に着手され、1960年に完成した。~
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車体は均質圧延鋼板製の箱形で、(1950年代当時の)日本人の体躯に合わせ非常に小型だった。~
乗員は10名(その内3人は機銃手、操縦手、車長)であり、主武装は[[ブローニングM2]]12.7mm[[重機関銃]]と[[ブローニングM1919A4>ブローニングM1919]]7.62mm[[機関銃]]。~
[[61式戦車]]との随行は可能であるが、渡河能力はなく、また[[NBC>大量破壊兵器]]防護、夜間戦闘能力もない。~
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1960〜1972年の間に426両が生産された。~
原型車の他にバリエーションがいくつか存在し、64式[[対戦車誘導弾>対戦車ミサイル]]を装備した物、兵員[[キャビン]]に81mm迫撃砲及び107mm[[迫撃砲]]を搭載した60式自走迫撃砲、また少数だが対NBC戦用の[[化学防護車]]((現在使われている車両とはまったくの別物である。(こちらは[[82式指揮通信車]]がベースである)))などがあった。~
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本来ならとっくに[[73式装甲車]]や[[96式装輪装甲車]]といった後継車両に道を譲っても良い車両だったが、慢性的な[[APC]]不足に悩む[[陸上自衛隊]]にとって貴重な装備であったことから、2006年までの長きにわたって使い続けられた。~
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余談だが、本車は1990年代に起きた長崎県・雲仙普賢岳の火山災害の時、万一火砕流に巻き込まれても高温に耐えられる鋼製の車体が買われ、火砕流の危険地域で「偵察」を行った実績がある。~
また、1990年代以後に行われるようになった[[国連PKF活動>国連軍]]にも派遣されたことがある。~
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**スペックデータ [#ne9cef9b]
|乗員|4名+兵員6名|
|全長|5.0m|
|全高|1.89m|
|全幅|2.40m|
|戦闘重量|11.8t|
|[[エンジン]]|[[三菱重工>三菱重工業]]製8HA21WT V型8気筒空冷ターボ・[[ディーゼルエンジン]](出力220hp)|
|登坂力|60%|
|超堤高|0.6m|
|超壕幅|1.82m|
|最大速度|45km/h(路上)|
|[[行動距離>航続距離]]|230km|
|兵装|[[M2 12.7mm重機関銃>ブローニングM2]]×1挺、M1919 7.62mm機関銃×1挺|
|製作|小松製作所、三菱重工|
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