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*&ruby(りょうしんてきへいえききひ){【良心的兵役忌避】}; [#obdd08ee]
Conscientious objection(英).~
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[[徴兵制]]が施行されている国の国民が、個人的かつ正当な理由から兵役義務を拒否する事。~
「良心的兵役(徴兵)拒否」ともいう。~
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動機として最も多いのは宗教的な信念、特に殺人への嫌悪であるという。((例えばプロテスタントの一部は「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」として戦争への関与を拒否する。))~
動機として最も多いのは宗教的な信念、特に殺人への嫌悪であるという((例えばプロテスタントの一部は「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」として戦争への関与を拒否する。))。~
民族や思想上の理由から「差別的な人々」との共同生活に耐えられない、として兵役を拒否する人々もいる。~
また、政府の外交・軍事政策に対する批判や哲学的な信念などの表明として兵役忌避を行う者もいる。~
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何をもって「良心的」とするかは国によって異なる。~
良心的兵役忌避に関する規定がなく、徴兵拒否を全て[[敵前逃亡]]として扱う国家もある。(([[軍法会議]]では死刑や終身刑に処される事が多い。))~
良心的兵役忌避に関する規定がなく、徴兵拒否を全て[[敵前逃亡]]として扱い死刑・終身刑を宣告する国家もある。~
法的処罰が軽微な国であっても著しく不名誉なこととみなされ、「前科者」「臆病者」として有形無形の差別((公的サービスや地域社会での交際・就職・結婚を拒絶・制限されたりなど。))を受ける事は珍しくない。~
宗教団体などによる組織的な兵役拒否は、属する組織自体が何らかの法的な制裁を受ける事になる。~

>一方、徴兵を拒否しつつ自発的・能動的に社会奉仕活動を行った宗教団体・徴兵拒否者支援団体もある。~
そうした集団は「敬意に価する例外」としての立場を勝ちとり、良心的兵役忌避の制度を作る中核ともなった。

兵役拒否が「良心的」に行われうる、という政治思想は20世紀末から制度として具体化した。~
今日では欧州諸国を中心に、基本的人権の一部である「良心の自由」に基づいて兵役拒否を認める国も出てきている。~
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ただし、良心的兵役忌避が合法化されている国であっても、これを行おうとする者には兵役と同等の社会貢献活動を行う事が義務付けられるのが普通である。~
兵役の代替措置として政府が定めた事業に従事し、一定期間の労働を行う事で代替とする。~
なお、[[徴兵制]]を敷く国家における兵役は憲法に明記された国民の義務である場合が多い。~
法的な処理が違憲であってはならないため、合法的な兵役忌避は「法的には兵役に従事したものとみなせる」よう処理する必要がある。~
これは普通、兵役の代替措置として政府が定めた事業に従事し、一定期間の労働を行う事を意味する。~
兵役の代替に何が行われるかは国によって異なるが、以下のような事業が一般的。
-高齢者介護などの社会福祉事業
-環境保護事業
-消防・防災活動
-その他、各種行政サービスに関する労役
-スポーツ((基本的に「国際的な競技会で国家の威信をかけて戦う代表選手」のみに限る。))
-スポーツの国際競技会、およびそのために必要な試合・練習((これは普通、国家代表レベルの競技者が技量維持と競技会参加を理由として兵役を拒否した場合のみ認められる。&br;  また、軍の内部に競技会のためだけのスポーツ部隊が用意されていて、軍属でなければ競技に出場できない場合もある。))

**ドイツにおける問題 [#mea4332d]
[[第二次世界大戦]]後に分割された東西ドイツでは、[[冷戦]]の最前線として東西共に[[徴兵制]]が採用されていた。~
しかし、旧西ドイツでは「良心の自由」を尊重する立場から、高齢者介護などの福祉業務に従事することを条件とした良心的兵役忌避が認められていた。~
しかし、旧西ドイツでは「良心の自由」を尊重する立場から、介護などの福祉業務による良心的兵役忌避が認められていた。~
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その後、ベルリンの壁崩壊〜東ドイツとの統合、[[冷戦]]の終結などを経て、ドイツの周辺情勢は軟化していった。~
これに伴って徴兵制を維持する意義は薄まり、また良心的兵役忌避を行う兵役対象者も増加、ついには兵役忌避者が兵役従事者を上回るまでになった((兵役対象者のうち、実際に入営する者は20%前後だったという。))。~
その後、ベルリンの壁の崩壊、東ドイツとの統合、[[冷戦]]の終結などを経て、ドイツの周辺情勢は軟化していった。~
これに伴って[[徴兵制]]を維持する意義は薄まり、また良心的兵役忌避を行う兵役対象者も増加。~
ついには兵役対象者の20%前後しか入営しないようにまでなった。~
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そのため、統一後のドイツではたびたび徴兵廃止が議論として持ち上がったものの、社会福祉事業にまとまった数の人材を供給する手段を見つけることが困難だったため、議論はなかなか進まなかった。~
しかし、近年になってようやく議論は前進し、2011年7月1日をもって徴兵が廃止されることになった。~
>国内にまだ残存する徴兵維持論者への配慮からか、公式には「徴兵制の運用を中止した」ということになっているが、将来的な復活の見通しはきわめて低いという。
統一後のドイツではたびたび徴兵廃止が議論として持ち上がった。~
しかし、良心的兵役忌避は社会福祉事業における主要な人材供給源でもあったため、議論は難航。~
近年になってようやく議論は前進し、2011年7月1日をもって徴兵制の運用が中止された。

>ドイツ国内には徴兵維持論者が残存しているが、徴兵制が復活する見込みは薄い。


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