• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
*&ruby(りゅうきゅうえあーこみゅーたー){【琉球エアーコミューター】}; [#j7c03f05]

|>|CENTER:''概要''|
|創設|1985年|
|ハブ空港|[[那覇空港]]|
|[[マイレージサービス]]|JALマイレージバンク|
|[[保有機材数>フリート]]|5機|
|[[同盟>アライアンス]]|n/a|
|航空会社コード|IATA:なし((なお、JALマイレージバンクでの搭乗履歴や日本航空グループの[[チェックイン]]カウンターで発行される手荷物タグでは、親会社の[[日本トランスオーシャン航空]]と同じ「NU」と記載される。))&br;[[ICAO>国際民間航空機関]]:RAC|
|[[コールサイン]]|&ruby(リュウキュウ){Ryukyu};|
|本拠地|沖縄県那覇市|

Ryukyu Air Commuter(RAC).~
~
日本の航空会社の一つ。本社は沖縄県那覇市に所在。~
~
[[日本航空]]グループの構成企業のひとつで、[[那覇空港]]をベースに、沖縄県及び鹿児島県の離島路線を運航している。~
>なお、出資関係上は日本航空の子会社である[[日本トランスオーシャン航空]]が株式の過半数を保有しており、日本航空から見れば「孫会社」にあたる。

>また、ワンワールドのメンバーではないため、[[日本航空]]以外の航空会社でワンワールド・エメラルド会員のステータスを保有していても優先搭乗の対象にはならない。

なお、当社の[[フライト]]には700・800番台の便名がつけられるため、[[日本トランスオーシャン航空]]と重複することはない。~
運航エリアは同じ[[日本航空]]グループの[[日本トランスオーシャン航空]]と重複しているが、当社の[[フライト]]には700・800番台の便名がつけられており、[[日本トランスオーシャン航空]]との重複を回避している。~
~
当社の歴史は、1982年から那覇―慶良間線を運航していた「公共施設地図航空」の経営危機に伴い、同路線の運航継続の受け皿として1985年に設立されたのに始まる。~
公共施設地図航空が1986年に倒産して運航を停止した後、当社により1987年に那覇―慶良間線の運航を再開。~
その後、1991年に[[南西航空>日本トランスオーシャン航空]]の増資を受けて傘下に入り、同社の路線の一部移管を受けるなどしてネットワークを拡大し現在に至る。~
公共施設地図航空が1986年に倒産して運航を停止した後、当社により1987年に那覇―慶良間線((現在は同路線からは撤退している。))の運航を再開。~
その後、1991年に[[南西航空>日本トランスオーシャン航空]]の増資を受けて同社の傘下に入り((同時に日本航空グループにも加盟。))、同社の路線の一部移管を受けるなどしてネットワークを拡大し現在に至る。~
~
公式サイト:https://rac-okinawa.com/ ~

**運航機材 [#n54f328f]
-[[ボンバルディア]][[DHC-8-Q400CC>DHC-8]]:~
2015〜2017年にかけて5機導入。同モデルの[[ローンチカスタマー]]となっている。~

***退役機材 [#z8311411]
-デ・ハビランド・カナダ[[DHC-6「ツイン・オッター」>DHC-6]]:~
1973年に当時の南西航空が導入した機材を1992年に移管されたもの。3機保有。1997〜2002年にかけて退役。~
-ブリテン・ノーマンBN-2「アイランダー」:~
創設当時から運用されていた機体。4機導入され、2003年〜2009年にかけて退役((同機の退役に伴い、DHC-8が[[着陸]]できない800m級[[滑走路]]の[[空港]](慶良間・粟国・波照間)から撤退している。))。~
-ボンバルディアDHC-8-Q100:~
4機導入。創設後初の[[客室乗務員>フライトアテンダント]]が搭乗する機体であった。2016〜2017年にかけて退役。~
-ボンバルディアDHC-8-Q300:~
1機導入([[機体記号]]:JA8936)。2019年退役((定期運航終了は2018年1月。))、カナダへ売却された。~


トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS