【要塞】(ようさい)

Fortress.

撤退不可能な状況下で攻撃を受ける事を想定して建造された軍事施設。
類義語に「砦」「城砦」「城塞」「城」「堡塁」など。

関連:橋頭堡 軍事革命 松代大本営 掩蔽壕

要塞の設計・建造意図

戦略的に考えた場合、要塞は以下の三つの意図をもって設計・建造される。
何を重視するかは場合によるが、ほぼ全ての要塞はそれら三つの機能を兼ね備えている。
兼ね備えていなければ機能不全であり、敵側の決断次第で容易に無力化されてしまう。

守勢防御

要塞の第一の意図は、敵の攻撃に耐え、反撃を行い、増援が到着するまでの時間を稼ぐ事である。

通常、固定された要塞に立て籠もるよりも野外で機動力を活かしてヒットアンドアウェイに徹した方が最終的な損耗は少ない。
よって、あえて要塞に立て籠もるのは機敏に撤退する事が許されない場合のみに限られる。
すなわち、撤退する事で甚大な戦略的不利を被る場所を死守する事が守勢防御の目的である。

守勢防御を重視して建造された要塞の最たるものは、国境線である。
当然の事だが、領土の奪い合いはまず最初に国境で始まる。そして何事も最初が重要である。
侵攻側・防御側のいずれにせよ、撤退すれば追撃を受けて蹂躙され、勝てば要塞の中で悠々と増援を待つ事ができる。
ひとたび国境を突破された軍隊は、相手が攻勢限界点に達するまで耐え凌ぐ事を余儀なくされる。
そして、国境で踏みとどまれなければ、以降の戦局は自国領内での戦災を避けられなくなる。
翻って、攻撃側は最初の要塞を突破できなければ開戦直後に攻勢限界点へ達し、敵の逆侵攻を受ける事となる。

また、戦争が想定されない場合でも、密輸業者・スパイ・亡命者の眼前に壁となって立ち塞がる事には大きな意味がある。

攻勢防御

要塞の第二の意図は、敵が要塞を回避し、無視し、奥に浸透しようとする時にこれを阻止する事である。

とはいえ、国境線の全域を分厚い壁や頑丈な柵で覆うのは非現実的である。
また、国境線上の全域にわたって兵力を分散させるのはさらに非現実的である。
よって、要塞を回避し、または無視して先に進むのはそれほど難しい事ではない。

そのような場合、要塞駐留部隊が出撃し、通り過ぎようとする敵に背後から奇襲を仕掛けるのが常道である。
また実際、ほとんどの指揮官は要塞からの奇襲を予期してその前で踏みとどまる。
しかしその場合でも、防御側の増援が到着する前に急いで要塞を陥落させなければならない。
要塞攻略戦の最中に新たな敵が出現すれば挟み撃ちを受ける事になるからだ。

兵站拠点

要塞の第三の意図は、上記二つの意図による作戦が終了するまで兵站を維持する事である。

守勢防御にせよ攻勢防御にせよ、それを実施するためには一定数の兵員が必要不可欠である。
よって必然的に、要塞は部隊を滞在させ、生活させ、平時には訓練させなければならない。
また、指揮統制火力支援後送されてきた兵士と休養・再編成の拠点ともなる。

いざ戦闘となれば周辺道路を敵軍に封鎖される事態が予想されるため、要塞には大量の物資を蓄える必要がある。
武器類はもちろん照明や衣服などの生活必需品、食糧、水に至るまで備蓄しなければならない。
防御戦闘中にそれらの備蓄が尽きれば、残された決断はただ降伏のみである。
よって一般に、増援の見込みがない籠城は、ただ降伏を先延ばしにするだけの時間稼ぎに過ぎない*1

中世以前の要塞

中世以前の土木技術と経済規模では、要塞の建造・維持は甚大な負担であった。
このため、中世以前の為政者は、たいてい自ら治める都市の近隣にひとつの要塞(城)を建設した。

当初の城は、敵側傭兵民兵の略奪に際して領民と共に立て籠もるための避難所であった。
しかし、時代が下るにつれて裁判所などの行政機能と一体化し、為政者自身の邸宅まで兼ねるようになった。
そして最終的には、都市全体を要塞とする「城塞都市」へと発展していった。

古代、中世、あるいは近代にあっても兵站が十分でない時、要塞は丸太を組み上げて作られた。
しかし木製の柵でさえ、人が狙撃を掻い潜りながら突き崩すのは容易な事ではない。

また、比較的に裕福な王侯貴族は石材を積み上げて堅固な城塞を構築した。
そうした本格的な城塞は、野戦砲が登場するまで事実上破壊できない無敵の要塞であった。

そうした時代の要塞を攻略するにあたっては、弱点に対する集中攻撃が行われた。
典型的な弱点は人が出入りするための門扉であり、城が陥落する時は門を破って雪崩込んだ敵兵との白兵戦となった。
陥落時に脱出するための隠し通路が用意されている場合、その出口が発覚して逆用される場合もある。
トイレやダストシュートも人が出入りできるため、汚物塗れによじ登って攻め上ったものもある。
また、内通者に門を開けさせたり、味方や避難民を装って堂々と入城するなどの策略を用いた例もある。

しかし、そうした城門を巡る攻防は、野戦砲が実用レベルで投入されると共に廃れていった。

近代要塞

近代以降の要塞は、中世までの要塞とは微妙に異なる思想で構築されている。

まず第一に、近代要塞は野戦砲による集中砲火をなんとしても回避しなければならない。
現代に至るまで、これに対する手段は先んじて敵の砲兵を始末する以外にない。
近代の要塞は、要塞砲などの火器を用いてアウトレンジから敵を迎撃していた。

また同時に、古来の歩兵による浸透戦術を防ぐ策も必須であった。
これに対する近代の解答も、古来の城壁を効率的に進歩させた障害システムであった。
塹壕などの障害物が敵を足止めし、形成されたキルゾーン間接砲撃機関銃で鉄の雨を降らせる。
そうした火力によって敵を壊走させた所で、立て籠もっていた歩兵騎兵狙撃兵が出撃して敗残兵を掃討するものである。

一方、要塞の設計思想が進化するのと同様、攻撃側の攻略法も徐々に進化していった。
要塞に浸透して道を切り拓く戦闘工兵の技術(地下トンネル工事や爆薬化学兵器生物兵器火炎放射器など)は高度に専門化され、洗練されていった。

とはいえ、これらも航空機が発達した第二次世界大戦を境に急激に衰微していく。

沿岸要塞

近代、蒸気機関の登場と航法の進歩により、艦艇は安定した外洋航行が可能となった。
このため、敵国艦隊による海上侵攻に対処するための要塞も求められるようになった。
そうした沿岸要塞は港湾や入り江の近辺、あるいは内海の小島に築かれた事例が多い。

沿岸要塞も基本的な機能は陸上と同じで、障害システムで艦艇の通行を阻み、敵艦隊に応戦する。
海上の障害システムは主に魚雷堡や機雷堰・防潜網などによって構成される。
また、敷地内に港湾を備え、防衛のための艦隊を駐留させる要塞もある。

陸上の兵站と接続されているため、沿岸要塞は船舶よりも高い継戦能力を持っていた。
また、波浪による影響を考慮しなくて良い分、砲撃戦において有利な配置・運用が可能だった。

現代の要塞

第二次世界大戦後、第六・第七の軍事革命により、要塞は急激に衰退する。

まずもって問題となったのは、航空機による爆撃である。
航空優勢を喪失した情勢下において、要塞には有効な反撃手段がない。

もちろん、高射砲地対空ミサイルを用いて敵の空襲を迎撃する事はできる。
しかし敵機を撃退できても、その戦果は戦略上の意味をほとんどもたない。
敵の航空基地空母は遙か彼方にあり、そこに逆襲をかける事はできないからだ。

同様の理由から、空挺部隊浸透に対しても攻勢防御が成り立たない場合がある。

また、核兵器の直撃に耐え得る要塞は存在しない。
建材や装甲は爆轟や熱線に耐え得るとしても、中の人間が放射線に耐えられない。
仮に生存者がいたとしても、その生存者が戦うための兵站物資が軒並み放射性物質と化してしまう。

そして、機械化された軍隊の絶大な機動力も要塞に対して不利に働く。
現代においても、要塞に立て籠もった部隊は、交通路を封鎖されて進軍・撤退が不可能になったとしても数ヶ月間耐えしのぐ事ができるかもしれない。
しかし、現代戦で数ヶ月も経てば、要塞が放置されたまま戦争が終結している公算が高い。
そうなれば、要塞はもはや看守のいない捕虜収容所でしかない。

こうしたことから、現代の国家・軍隊は要塞をほとんど必要としなくなった。
かつての要塞の多くは破壊・放棄されるか、史跡公園となるか、刑務所・捕虜収容所などに転用された。
要塞施設が軍事基地として運用され続けている事例もあるが、それは単に改築していないだけの話である。
要塞の指揮統制兵站備蓄などの機能は現代でも有用だが、それを要塞に安置する事に実務上の必然性はない。

ただし、ゲリラテロリズムにおいては現代でも要塞が意味を持つ。
テロリストに命を狙われる立場の人間は、暗殺を阻止できる程度に自宅を要塞化しようとする。

自宅に自動小銃RPGを撃ち込む人間がいないとは断言できない。
また、車庫に停めていた車に誰かが爆薬を仕込んでいないとも断言できない。
外出中に空から無人機ミサイルを落としてこないとも断言できない。
それらの暗殺を阻むために護衛が常駐する邸宅は、現代における典型的な要塞である。


*1 攻撃側が杜撰な作戦計画で侵攻したため、兵站が尽きて勝手に自壊したという例もなくはない。

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