【兵站】(へいたん)

Logistics.

軍隊組織が戦闘能力を維持するために必要な雑務の総称。
実際に戦闘を行う部隊よりもはるかに巨大な部門で、現代では総兵員数の9割以上を占めるほどである。
経済的にも甚大な負担であり、近年では業務の一部をコストの低いPMCに委託するケースも増えている。

実際に行う活動としてはおおむね以下の要素が含まれる。

  • 兵器とその弾薬、燃料、整備部品などの補給
  • 食料や水をはじめとする、兵士の生活に必要な物資の補給
  • 給食や給水、入浴、洗濯、宿舎など兵士の生活を支えるサービス
  • 医療
  • 兵器の維持管理、整備
  • 通信・連絡網の配備と維持管理
  • 将兵の士気を維持するための娯楽
  • 金銭の出納、文書作成・管理などのデスクワーク
  • 兵站を維持するための兵站*1
  • その他、作戦に応じて必要な後方支援

部外者の目からはあまり目立たないが、実態としては軍隊の中核を占める。
戦争の決着は敵の兵站を破壊する事によって行われ、前線の部隊を排除するのはその手段に過ぎない。
実際、ほとんど交戦しないまま兵站不足によって自壊してしまった軍隊も歴史上に数多ある。

例えば、現代陸軍機械化歩兵1個師団を戦闘態勢で活動させるには、1日あたり2,000〜3,500トンの各種物資が必要になる。
その物資は後方から毎日欠かさず、しかも不定期に機動する前線まで滞りなく送り届けなければならない。
また、兵站網そのものを維持するためにも、前線に送る数倍以上の兵站がさらに必要とされる。

そして、それらの補給が滞った途端、前線の部隊は撤退死守か、さもなくば降伏かの決断を迫られる事になる。
機械化された軍隊が無補給で戦えるのは、長くとも数日程度に過ぎないからだ。

関連:輜重 酒保 AFN 軍政 シービー アメリカ輸送軍

輜重輸卒(しちょう・ゆそつ)が兵隊ならば、蝶々とんぼも鳥のうち」

日本の旧軍において、兵士の間で歌われていたざれ歌。
陸海軍を問わず、旧軍には兵站要員を一段下に見る風潮があった事を示す傍証といえる。
兵科間での軋轢は軍隊において珍しいものではないが、多数派である兵站が軽蔑されるのは珍しい*2

軍事史研究によれば、旧軍は作戦や用兵の段階でも兵站を軽視する傾向が強かった。
正面戦力だけは当時の列強に追随可能な水準にあったものの、それを支える兵站は総じて貧弱であった。
その弱点は第二次世界大戦において露呈し、太平洋戦争後半における数々の悲惨な戦局を生み出す原因となった。

とはいえ、これを無能や怠慢だと考えるのは必ずしも正しくない*3
当時の日本には、その正面戦力に見合った兵站を維持しうる経済力は備わっていなかった。
また翻って、当時の国際情勢下で国家の独立を保つには軍拡(殊に正面戦力の拡充)が急務であり、兵站に見合った軍隊しか持たないのは国家的自殺に等しかった。
当時まだ中小国に過ぎなかった日本にとって、兵站軽視より合理的な決断があり得たものかは疑わしい。

ただし、こうした決断が将兵に偏見をもたらし、兵站軽視が慣習化・常態化する要因になった可能性は否定できないし、そのような決断自体が十分に配慮されていない短絡的判断であった可能性もまた否定できない*4

戦地での略奪

現代、軍隊が現地で略奪を行うのは戦争犯罪とみなされるが、これは第二次世界大戦以降の慣習である。
それ以前の陸軍は、戦争では必ず戦地で強盗働きか搾取的徴税を行い、戦地周辺の地域経済を破壊した。
そして実際問題、軍政がこうした蛮行を阻止する必要があった時でも、それは物理的に不可能だった。

略奪を行わずに兵站を維持するには、そのための物資全てを国内から輸送しなければならない。
兵団の規模にもよるが、それはおおむね輸送艦鉄道でなければ不可能な規模の輸送計画である。
そして港湾施設や鉄道の駅舎を敵前に設営する事は不可能である。
必要な物資を戦場まで滞りなく届けるには、輸送網の自動車化が必須なのだ。

どれほど原始的な軍隊であろうと、一人の兵は毎日700グラム*5の食糧と4kgの水を消費する。
加えて、騎兵であれば軍馬一頭が毎日5kgの糧秣と20kgの水を消費する。
人間や軍馬に輸送可能な重量の制限を考えれば、一週間分も持ち歩ければ良い方だ。

機械化されていないどのような陸軍も、出撃してから数日以内に備蓄のある策源地を確保する必要があった。
長距離行軍では街道上の町や村に立ち寄り、領主や商人から備蓄物資を受け取って補給する。

大抵の場合、これ自体は穏当な商取引である。
しかし、地域滞在人口が急激に膨張するのだから経済的混乱は避けがたい。
安全な土地をただ通過するだけでも、食糧備蓄が切り崩される事はときおり危機的状況を招く。
ましてや大軍が敵地に長期滞在し続ければ、物価の乱高下、生活必需品の枯渇、住民の離散は避けられない。

また、そもそも軍隊が十分な代金を持ち合わせているとは限らない。
この場合、物資の提供者はたいてい軍上層部の顔馴染みで、直接殺されて荷を奪われる事は希だった。
代わりに、補給の費用を稼ぐために現地で略奪が行われた。

物資を集めて提供する人間がいなくなれば、兵士が散開して物資を集めなければならなくなる。
それはつまり、敵の奇襲に対する防御要員がその場にいなくなるという事だ。
従って、略奪に費やす時間と人的資源は必要最小限に抑えなければならない。
腐りやすくて重い食糧を直接奪って回るより、換金用に財貨や奴隷を集めた方が効率的なのだ。

また逆に、兵站に関する甚大な制限は、略奪に際しても甚大な制限となる。
つまり、略奪品の後送は深刻な重量制限があり、しかも長い時間がかかる。
経時劣化するもの、維持に人員を割かれるものは、至急必要なのでなければ略奪する意味がなかった。

例えば、近代以前の戦争では捕虜を奴隷とするのが常態だった。
しかし実際のところ、大規模な戦争で無数の奴隷が連行された事例はほとんどない*6
数千人の虜囚を抱えれば、それだけ食い扶持も増える。ほとんどの軍隊にとってこの負担は耐え難い。
なので、戦争奴隷のほとんどは占領地で身代金交渉の種となり、短期間で解放された。
奴隷として生涯を終える元捕虜も当然いたが、その大半は転売されて現地人の手に渡った。


*1 例えば、燃料を輸送するタンクローリーやタンカー空中給油機にも、自身が稼動するための燃料や整備が必要であるし、敵の攻撃や事故で失われる危険性もある。
*2 ただし「兵站の不備に由来する怨恨」についてはその限りでない。旧軍についても根源的な原因はこれだろう。
*3 旧大日本帝国とその旧軍の実態について擁護や糾弾を行う意図はないが、軍隊が兵站を軽視するにも合理的理由はあり得る。
*4 当時の日本は近代国家として未成熟な新興国であったし、歴史的・地政学的な事情から長期の外征をほとんど経験しておらず、高度な兵站管理を行った経験もほとんどなかった。
*5 必須栄養素を全く考えずに穀物だけを支給する場合の値。医学的配慮を前提とするなら毎日2〜3kgが必要。
*6 例外は、そもそも奴隷の誘拐のみを目的として戦争を起こした場合である。
  そうした戦争は奴隷を儀式・娯楽・食肉のために殺す習俗を持つ文化圏に典型的である。
  大量死や叛乱が生じない限り、奴隷はむしろ供給過剰になり、戦争してまで奪うほど希少な資源ではなくなる傾向にある。


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