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*&ruby(へいたん){【兵站】}; [#y24e67c3]
Logistics.~
[[軍隊]]の組織において、[[兵器]]・弾薬・食料・[[燃料]]やその他の消耗品にまでいたる物資の輸送や整備、通信、医療、兵士への給食・給水、入浴、洗濯、果ては娯楽の提供に至る、軍事作戦に必要な支援。またはそれを行う組織・[[部隊]]。~

[[軍隊]]組織が戦闘能力を維持するために必要な雑務の総称。~
実際に戦闘を行う部隊よりもはるかに巨大な部門で、現代では総兵員数の9割以上を占めるほどである。~
経済的にも甚大な負担であり、近年では兵站の一部を安価な[[PMC>民間軍事会社]]に委託するケースも増えている。~
~
(直接戦闘に参加するわけではないため)目立たないが((とはいっても、前線で戦う兵士の数十倍もの人間が背後で戦いを支えているため、規模としては遥かに兵站部門の方が大きい))、戦争において最も重要な要素の一つであり、これなくして[[軍隊]]は戦うことが出来ない。~
この優劣が戦局を左右し、兵站を軽視し(もしくは絶たれ)て勝利した軍隊は無いと言っても過言ではなく、むしろ軍団の崩壊は、野戦での決着よりも兵站の不足による自壊の方が多いという試算も有る。
実際に行う活動としてはおおむね以下の要素が含まれる。

>国によって異なるが、現代陸軍の1個[[機械化]][[師団]]を有事に完全な稼動状態にするには、1日におおむね2000〜3500トンの物資が必要とされる。((このうち、殆どが(車両や[[航空機]]が消費する)燃料である。))~
前線で機動を行う師団自体には物資を集積する事は出来ないため、これだけの物資を後方から毎日欠かさず送り届けなくてはならない。~
しかもこの数字には「兵站を維持するための兵站」は含まれていないため、本当に必要な物資はこの何倍もの量になる。((燃料を輸送するタンクローリーでさえ数万点の部品で構成され、時に故障し、燃料を消費して動く機械である。))
-[[兵器]]とその弾薬、[[燃料]]、整備部品などの補給
-食料や水をはじめとする、兵士の生活に必要な物資の補給
-給食や給水、入浴、洗濯、宿舎など兵士の生活を支えるサービス
-医療
-[[兵器]]の維持管理、整備
-通信・連絡網の配備と維持管理
-将兵の[[士気]]を維持するための娯楽
-金銭の出納、文書作成・管理などのデスクワーク
-兵站を維持するための兵站((例えば、[[燃料]]を輸送するタンクローリーにも[[燃料]]や整備が必要であるし、敵の攻撃や事故で失われる危険性もある。))
-その他、作戦に応じて必要な後方支援

また、近年では、[[軍事革命]]の進展による軍組織の少数精鋭化への流れを受けて、これらの活動を[[民間軍事会社]]へ委託するケースも増えている。~
部外者の目からはあまり目立たないが、実態としては[[軍隊]]の中核を占める。~
戦争の決着は敵の兵站を破壊する事によって行われ、前線の[[部隊]]を排除するのはその手段に過ぎない。~
実際、ほとんど交戦しないまま兵站不足によって自壊してしまった軍隊も歴史上に数多ある。

>例えば、現代陸軍の機械化歩兵1個[[師団]]が稼動する際は1日あたり2000〜3500トンの物資が必要になる。~
その物資は後方から毎日欠かさず、しかも不定期に[[機動]]する前線まで輸送しなければならない。~
また、兵站網そのものを維持するためにも、前線に送る数倍以上の兵站がさらに必要とされる。~
~
それらの補給が滞った途端、前線の[[師団]]は[[撤退]]か[[死守]]かの決断を迫られる事になる。~
[[機械化]]された軍隊が無補給で戦えるのは長くとも数日程度に過ぎないからだ。~

関連:[[輜重]] [[酒保]] [[AFN]]

**「&ruby(しちょう・ゆそつ){輜重輸卒};が兵隊ならば、蝶々とんぼも鳥のうち」 [#dc1689bf]
[[旧軍]]において、兵士の間で歌われていたざれ歌。~
上述の通り、兵站は軍隊の欠くべからざる構成要素のひとつであるが、この歌詞にもあるように、旧軍では(陸軍・海軍とも)兵站やその業務に従事する要員を一段下に見る風潮があったようだ。~
後にこれが、作戦や用兵における「兵站軽視」となり、[[第二次世界大戦]]において種々の無用な人的・物的損害を増やすことになってしまった。((1942〜1943年のガダルカナル島における一連の攻防戦や、1943年のインパール作戦などがその代表例といえよう。))~
日本の[[旧軍]]において、兵士の間で歌われていたざれ歌。~
陸海軍を問わず、[[旧軍]]には兵站要員を一段下に見る風潮があった事を示す傍証といえる。~
兵科間での軋轢は軍隊において珍しいものではないが、多数派である兵站が軽蔑されるのは珍しい((ただし「兵站の不備に由来する怨恨」についてはその限りでない。[[旧軍]]についても根源的な原因はこれだろう。))。~
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しかしながら、我が国の軍事思想における「兵站軽視」は、その歴史的経緯に大きな要因があると見られている。~
日本人は7世紀の大和朝廷の時代から19世紀後半の明治時代になるまで、日本列島の外まで軍を遠征させて戦った経験がほとんど無く((わずかに16世紀末の文禄・慶長の役がある程度。))、「戦争」と呼ばれるものの実態は内戦に過ぎなかったことから、本拠地から侵攻地(作戦目標)までの兵站距離は極めて短く、それを遮断すると言っても、せいぜい城砦を包囲する程度であった。~
小田原城を20万の兵で包囲する事も可能であった豊臣秀吉の兵站も、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際には、一時的にとは言え朝鮮軍の李舜臣により海上補給線を遮断されるなど、打撃を受けている。~
また、兵站を担当していた石田三成を、加藤清正らの前線の部将が軽蔑視していたのも、兵站軽視の思想と無関係ではないであろう。~
軍事史研究によれば、[[旧軍]]は作戦や用兵の段階でも兵站を軽視する傾向が強かった。~
正面戦力だけは当時の列強に追随可能な水準にあったものの、それを支える兵站は総じて貧弱であった。~
その弱点は[[第二次世界大戦]]において露呈し、[[太平洋戦争]]後半における数々の悲惨な戦局を生み出す原因となった。~
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とはいえ、これを無能や怠慢だと考えるのは必ずしも正しくない((旧大日本帝国とその[[旧軍]]の実態について擁護や糾弾を行う意図はないが、[[軍隊]]が兵站を軽視するにも合理的理由はあり得る。))。~
当時の日本には、戦力に見合う兵站を用意する経済力はなかった。~
また翻って、当時の情勢下では軍拡(殊に正面戦力の拡充)が急務であり、兵站に見合った軍隊しか持たないのは国家的自殺に等しかった。~
当時まだ中小国に過ぎなかった日本にとって、兵站軽視より合理的な決断があり得たものかは疑わしい。~
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ただ、こうした決断が将兵に偏見をもたらし、兵站軽視が慣習化・常態化する要因になった可能性は否定できない。~
また、こうした決断が十分に配慮されていない短絡的判断であった可能性もまた否定できない((当時の日本は近代国家として未成熟な新興国であったし、歴史的・地政学的な事情から長期の外征をほとんど経験しておらず、高度な兵站管理を行った経験もほとんどなかった。))。


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