【兵站】(へいたん)

軍隊の組織において、兵器・弾薬・食料・燃料やその他の消耗品にまでいたる物資の輸送や整備、通信、医療、兵士への給食・給水、入浴、洗濯、果ては娯楽の提供に至る、軍事作戦に必要な支援。またはそれを行う組織・部隊

(直接戦闘に参加するわけではないため)目立たないが、戦争において最も重要な要素の一つであり、これなくして軍隊は戦うことが出来ない。
この優劣が戦局を左右し、兵站を軽視し(もしくは絶たれ)て勝利した軍隊は無いと言っても過言ではなく、むしろ軍団の崩壊は、野戦での決着よりも兵站の不足による自壊の方が多いという試算も有る。

国によって異なるが、現代陸軍の1個機械化師団を有事に完全な稼動状態にするには、1日におおむね2000〜3500トンの物資が必要とされる。*1
前線で機動を行う師団自体には物資を集積する事は出来ないため、これだけの物資を後方から毎日欠かさず送り届けなくてはならない。
しかもこの数字には「兵站を維持するための兵站」は含まれていないため、本当に必要な物資はこの何倍もの量になる。*2

また、近年では、軍事革命の進展による軍組織の少数精鋭化への流れを受けて、これらの活動を民間軍事会社へ委託するケースも増えている。

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輜重輸卒(しちょう・ゆそつ)が兵隊ならば、蝶々とんぼも鳥のうち」

旧軍において、兵士の間で歌われていたざれ歌。
上述の通り、兵站は軍隊の欠くべからざる構成要素のひとつであるが、この歌詞にもあるように、旧軍では(陸軍・海軍とも)兵站やその業務に従事する要員を一段下に見る風潮があったようだ。
後にこれが、作戦や用兵における「兵站軽視」となり、第二次世界大戦において種々の無用な人的・物的損害を増やすことになってしまった。*3

しかしながら、我が国の軍事思想における「兵站軽視」はその歴史的経緯に起因している。
19世紀末の明治時代になるまで、日本列島の外まで遠征して戦った経験がほとんど無く、「戦争」と呼ばれるものの実態は内戦に過ぎなかったことから、本拠地から侵攻地(作戦目標)までの兵站距離は極めて短く、それを遮断すると言っても、せいぜい城砦を包囲する程度であった。
小田原城を20万の兵で包囲する事も可能であった豊臣秀吉の兵站も、朝鮮出兵時には一時的にとは言え朝鮮軍の李舜臣により海上補給線を遮断されるなど、打撃を受けている。
また、兵站を担当していた石田三成を、加藤清正らの前線の部将が軽蔑視していたのも、兵站軽視の思想と無関係ではないであろう。


*1 このうち、殆どが(車両や航空機が消費する)燃料である。
*2 燃料を輸送するタンクローリーでさえ数万点の部品で構成され、時に故障し、燃料を消費して動く機械である。
*3 1942〜1943年のガダルカナル島における一連の攻防戦や、1943年のインパール作戦などがその代表例といえよう。

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