【扶桑】(ふそう)

古代中国の伝説で東方の果てにある巨木(原義)。
転じて、日本国の異称でもある。

日本海軍及び海上保安庁の艦艇名として幾度か用いられた。

甲鉄艦「扶桑」

明治時代初期、英国で建造された装甲艦。同型艦はない。

明治時代の海軍創設時、海上警備に使用できる艦艇は元佐賀藩のスループ「日進」1隻のみであり、残りの艦は主に練習艦として用いられていた。
そこに「佐賀の乱」や「台湾出兵」などが起こって強力な軍艦の必要性が痛感され「金剛」型コルベットと共に発注されたのが本艦であった。

設計は、当時英国が保有していた「オーディシアス」型装甲艦をベースに縮小した形でなされており、実態は機帆走装甲フリゲートもしくは装甲コルベットというべき艦であった。
後に艦種を「二等戦艦」に変更しているため「日本初の戦艦」とも呼ばれるが、実際には海防戦艦程度の戦闘力しかもっていなかった。

後年、帆を撤去して日清戦争や日露戦争にも参戦したが、すでに旧式化して久しく、活躍はできなかった。

1908年に除籍され、1910年にスクラップとして処分された。

性能諸元
主造船所サミューダ・ブラザース社
起工1875.9.24
進水1877.4.17
就役1878.1.
退役1908.4.1
その後1910.にスクラップとして処分
常備排水量3,717t
全長68.5m
水線長67m
垂線間長67.06m
全幅14.63m
吃水5.49m
燃料石炭:250t/360t(1894年)
主缶John Penn and Sons製石炭専燃円缶×4基
1900年:円缶×8基
主機横置式トランク型2段膨張2気筒レシプロ機関×2基
1900年:横置式3気筒3段膨張レシプロ機関×2基
推進器スクリュープロペラ×2軸
出力3,500shp
最大速力13ノット(機関航行のみ)
航続距離4,500海里/10ノット
乗員250名
337名(1894年)
武装(就役時)クルップ1861年型 20口径24cm単装砲×4基
クルップ 1863年型 25口径17cm単装砲×2基
4.7cm単装機砲×6基
装甲鉄製
舷側:231mm
砲郭部:203mm(最大厚)


武装変遷
武装1886年時1894年時1900年時
単装砲クルップ 1861年型 20口径24cm単装砲×4基
速射砲アームストロング
40口径12cm単装速射砲×4基
アームストロング
40口径15.2cm単装速射砲×2基
アームストロング
40口径12cm単装速射砲×4基
機砲オチキス 1888年型
43口径4.7cm単装機砲×11基
ノルデンフェルト式
4連装25mm機砲×7基
オチキス 1888年型
43口径4.7cm単装機砲×14基
ノルデンフェルト式
25mm4連装機砲×4基
オチキス 1888年型
43口径4.7cm単装機砲×10基
ノルデンフェルト式
25mm4連装機砲×4基
機銃ノルデンフェルト式 5連装11mm機銃×2基ノルデンフェルト式
5連装11mm機銃×4基
マキシム 7.62mm単装機銃×7基
魚雷35.6cm水上魚雷単装発射管×2門


超ド級戦艦「扶桑」

明治時代末期〜大正時代初期(1910年代前半)、日本海軍が建造した超ド級戦艦。同型艦に「山城」がある。
日本が初めて建造した超ド級戦艦でもあった。

1930年代に二度にわたって近代化改装が行われたものの、速力は24ノットにとどまり、長門級や大和級といった新世代の戦艦には追随できなかった。
そのため、大東亜戦争開戦後は姉妹艦の「山城」、準同型艦の「伊勢」「日向」と共に第1艦隊第2戦隊を構成していたが、もと巡洋戦艦金剛型空母機動部隊に随行して各地を転戦したのに対し、柱島泊地やトラック環礁などにとどまっていることが多く、活躍らしい活躍はできなかった。

この間、ミッドウェー海戦の大敗で空母4隻を失ったことにより空母への改装も俎上に上がるが、日向が5番砲塔を爆発事故で失っていたことから伊勢型戦艦のみが「航空戦艦」に改装されることになった。

1944年10月、捷一号作戦(レイテ沖海戦)に参加。
第一遊撃部隊第三部隊(通称西村艦隊)の旗艦としてスリガオ海峡からレイテ湾に突入をもくろんだが、アメリカ艦隊の雷撃で魚雷が命中して横転、大爆発を起こして沈没した。

性能諸元
艦名扶桑山城
(※は艦尾延長前の数値)
基準排水量29,326tまたは29,330t(新造時)
34,700t(艦尾延長時)
32,720t(新造時)
39,130t(大改装時)
常備排水量30,600tまたは31,090t(計画)
30,998t(新造時)
33,800t(新造時)
公試排水量39,154t(艦尾延長時)30,557t(大正9年3月31日調)
38,900t(昭和13年3月31日調)
43,580t(大改装後)
全長205.13m(新造時)
212.75m(艦尾延長時)
215.80m(新造時)
224.94m(大改装後)
水線長202.69m202m(大正9年3月31日調)
210m(昭和13年3月31日調)
垂線間長192.02m-
全幅28.65mまたは28.68m(新造時)
33.08m(艦尾延長時)
28.96m(新造時)
28.65m(大正9年3月31日調)
33.08m(昭和13年3月31日調)
34.60m(大改装後)
吃水8.69m(新造時)
9.69m(艦尾延長時)
9.08m(新造時)
8.66m(公試)(大正9年3月31日調)
9.49m(大改装後)
主缶新造時:
宮原式重油・石炭混焼缶両面×8基
同片面×16基

艦尾延長時:
ロ号艦本式×4基
同ハ号缶×2基
新造時:宮原式重油・石炭混焼缶×24基

昭和13年3月31日調:
艦本式ロ号缶×4基
艦本式ハ号缶×2基
主機ブラウン・カーチス式直結タービン
2軸併結(高中低圧)×2基(新造時)
艦本式タービン×4基(艦尾延長時)
ブラウン・カーチス式直結タービン
2軸併結(高中低圧)×2基(新造時)
艦本式タービン×4基(大改装後)
推進器スクリュープロペラ×4軸
出力40,000shp(新造時)
75,000shp(艦尾延長時※)
40,000shp(新造時)
70,000shp(大改装後)
75,000shp(レイテ沖海戦時)
燃料石炭:4,000t(新造時)
重油:1,000t(新造時)/5,100t(艦尾延長時)
石炭:5,022t(新造時)
重油:1,026t(新造時)
速力22.5ノット(新造時(計画))
24.5ノット(艦尾延長時(計画)※)
23.3ノット(新造時)
24.6ノット(大改装後)
航続距離8,000海里/14ノット(新造時)
11,800海里/16ノット(艦尾延長後※)
8,000海里/14ノット(新造時)
乗員1,193名(新造時)
1,396名(艦尾延長後)
1,637名(レイテ沖海戦時)
1,193名(大正9年3月31日調)
1,447名(昭和13年3月31日調)
主砲四一式35.6cm連装砲×6基
副砲四一式15.2cm単装砲×16門(新造時)
同14門(レイテ沖海戦時)
四一式15.2cm単装砲×16門(新造時)
同14門(レイテ沖海戦時)
高角砲八九式12.7cm連装砲×4基(艦尾延長時)三年式8cm単装砲×4門(新造時)
八九式12.7cm連装×4基(大改装時)
機銃艦尾延長時:
13mm4連装×4基
25mm連装×8基

レイテ沖海戦時:
25mm3連装×8基
25mm連装×16基
同単装×39挺
13mm単装×10挺
大改装時:
40mm連装×2基
13mm4連装×4基
25mm連装×8基*1

レイテ沖海戦時:
25mm3連装×8基
25mm連装×17基
同単装×34挺
13mm連装×3基
同単装×10挺
魚雷53cm水中発射管×6基(新造時)
(艦尾延長時に撤去)
その他兵装レイテ沖海戦時:
21号電探×1基
22号×2基
13号×2基
レイテ沖海戦時:
22号電探×2基、13号×2基
搭載機水偵×3機
カタパルト×1基
装甲新造時:水線305mm
甲板64mm
主砲天蓋152mm

艦尾延長時:
水線305mm
甲板100mm
主砲天蓋152mm
縦壁75mm
新造時:水線305mm
甲板64mm
主砲天蓋152mm

大改装後:
水線305mm
甲板100mm
主砲天蓋152mm
縦壁75mm


同型艦
艦名主造船所起工進水就役除籍備考
扶桑呉海軍工廠1912.3.111914.3.281915.11.81945.8.311944.10.25戦没
山城横須賀海軍工廠1913.11.201915.11.31917.3.311945.8.31


ヘリコプター2機搭載型巡視船「ふそう」

JCG Fuso(PLH-21).

みずほ(初代)」型巡視船のネームシップ「みずほ(初代)」が、配置替えに伴って改名されたもの。
同型船に「やしま」がある。

現在は第八管区海上保安部舞鶴海上保安部に所属し、舞鶴港を母港としている。

船の詳細はみずほの項を参照のこと。


*1 40mmにかえて後日装備。

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