【富士重工業】(ふじじゅうこうぎょう)

Fuji Heavy Industries(FHI).
自動車、航空機などの生産を手がける日本の重機械メーカー。本社は東京都新宿区に所在する。
一般には「スバル」のブランド名で知られる自動車メーカーとして認知されている。

1917年(大正6年)12月、元帝国海軍機関大尉・中島知久平が群馬県新田郡尾島町(現在の太田市)に設立した「飛行機研究所」がルーツ。
翌年、神戸の豪商・川西清兵衛*1が出資し「合資会社日本飛行機製作所」となり一度社名は消滅してしまうが、3年後に中島と川西の経営方針が合わないことから同社は解散。

1919年に再び「中島飛行機」としてスタートし、主として帝国陸海軍に納入される軍用機及びそのエンジンの開発・生産を手がけ、第二次世界大戦の頃には三菱川崎と並ぶ、アジアでも有数の航空機メーカーとなっていた。

しかし、戦争末期には同社の工場・事業所の多くがアメリカ軍による戦略爆撃の重要目標とされ、壊滅的打撃をこうむることになる。
そして終戦後、GHQによって二度と軍需産業に復帰できないよう徹底的に解体され*2、「中島飛行機」は完全に消滅する。

その後、1953年〜55年にかけて分社化された旧工場・事業所が合同して「富士重工業」として再発足*3
現在、航空・軍事分野では主に防衛省向けに練習機ヘリコプターの納入を行っている他、日米欧各社の旅客機の部品製作にも多く参加している。
また、これ以外には「スバル」のブランド名で知られる自動車や「ロビン」のブランド名で知られる汎用小型エンジン*4の生産なども行っている。

関連:富嶽

メーカー公式webサイト
http://www.fhi.co.jp/

主な製品

ここでは、戦前の中島飛行機時代と戦後の富士重工時代とに分けて述べる。

中島飛行機時代

日本陸軍向け
戦闘機甲式三型戦闘機(ニューポール 24C1のライセンス生産
甲式四型戦闘機(ニューポール・ドラージュ 29Cのライセンス生産)
九一式戦闘機
九七式戦闘機
一式戦闘機「隼(キ43)」
二式戦闘機「鍾馗(キ44)」
四式戦闘機「疾風(キ84)」
キ87 高々度戦闘機(試作のみ)
戦闘襲撃機キ201「火龍」(試作のみ)
爆撃機一〇〇式重爆撃機「呑龍(キ49)」
長距離重爆撃機「富嶽(G10N)」(計画のみ)
偵察機九四式偵察機
輸送機九七式輸送機
練習機甲式二型練習機(ニューポール 83E2のライセンス生産)
中島式五型
特攻機*5
日本海軍向け
戦闘機三式艦上戦闘機
九〇式艦上戦闘機
九五式艦上戦闘機
二式水上戦闘機
夜間戦闘機「月光」
零式艦上戦闘機三菱から受託生産したもの*6
十八試局地戦闘機「天雷」(試作のみ)
艦上攻撃機九七式艦上攻撃機(一型及び三型)
天山
陸上攻撃機九六式陸上攻撃機(G3M)
十三試陸上攻撃機「深山?」(試作のみ)
十八試陸上攻撃機「連山?」(試作のみ)
偵察機九五式水上偵察機(E8N)
二式陸上偵察機(J1N1-R)
艦上偵察機「彩雲(C6N)」
輸送機零式輸送機(ダグラス DC-3を国産化したもの、昭和飛行機との並行生産)
特殊攻撃機藤花(特攻機、剣の海軍型)
橘花(旧軍唯一のジェット機)
民間向け
旅客機AT-2

富士重工時代

  • 軽飛行機
    • FA-200
    • FA-300(米ロックウェル社との共同開発)

*1 後に川西航空機を設立する。
*2 これは戦争末期、会社ぐるみで軍に徴用されるなど、軍ときわめて密接な関係にあったことが原因とされている。
  そのため、工場・事業所単位で15社以上に分社化された。

*3 旧中島飛行機の全てが再統合したわけでなく、例えば中島が研究していたロケットエンジンの技術は現在IHIエアロスペースが継承している。
*4 2000年代後半以降、順次ブランド名を「ロビン」から「スバル」に切り替えている。
*5 海軍型の呼称は「藤花」。
*6 同機の全生産機数の2/3を占めていた。
*7 オリジナルの形式では「近代化AH-1S(AH-1F)」、または「AH-1S C-NITE」に相当する機体。
*8 ミリ波レーダー「ロングボウ・システム」搭載型。
  本国での生産が打ち切られたため、わずか13機で生産終了となってしまった。


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