【飛燕】(ひえん)

キ61 三式戦闘機 "飛燕"
日本帝国陸軍の戦闘機
" 昭和15年2月、日本陸軍は川崎飛行機?に対して、ドイツ戦闘機Bf109に搭載されたドイツ製"DB601"エンジンを搭載する軽戦闘機"キ61"の開発を命じた。 これに対し、川崎の技術者はあらゆる局面に対応できる戦闘機を目指し、軽戦闘機という枠に囚われずに速度、旋回力、火力などのバランスの取れた機体を作り出した。
太平洋戦争開戦直後の昭和16年12月に初飛行し、ほとんどの要求性能を上回る結果を残したため、昭和18年に陸軍は制式採用を決定。 昭和18年(皇紀2603年)から「三式戦闘機」と命名された。
飛燕は旋回性能が日本の軽戦闘機(軽戦)に及ばないものの、諸外国の重戦闘機(重戦)には優ることから、中戦と呼ばれた。 一方で速度も優れており、特に高高度性能と急降下性能が日本戦闘機としては優秀であった。

エンジンには"DB601"をライセンス生産して搭載したが、日本では不慣れな液冷エンジンだったため、エンジンの生産効率は悪かった。 本機は激化するニューギニア戦線に投入されたが、劣悪な整備環境では稼働率が非常に低かった。
さらに、前線では武装が弱いとの評価があり、ドイツから輸入したマウザー20mm機銃(MG-151/20?)800丁を使って388機が改造された。
ただ、これは弾薬も専用の物を輸入したので、補給ができず、後に国産の20mm機銃(ホ5?)に変更されることになった。

一方で整備の整った本土で高い稼働率を見せた一部の機体は末期の米戦闘機とも互角に戦える能力があり、優れた高高度性能を活かしてB-29迎撃では主力戦闘機として活躍した。
しかし当時の日本では全体的に液冷エンジンの体系が確立していないことも相まって、エンジンの生産が追いつかなかったため、機首なしの”飛燕”が飛行機工場に並ぶ結果となり、苦肉の策として空冷エンジンに換装した五式戦闘機?が生産されることになった。


性能諸元(キ61-2型甲)

全長 9.16m 全幅 12.00m エンジン 川崎ハ-140(液冷1,500馬力)  最高速度 610km/h 航続距離 1,100km 固定兵装 20mm機関砲×2、12.7mm機銃×2


キ61-1型甲

初期型。 エンジンは"ハ40"(液冷1100馬力)。 武装は12.7mm銃×2、7.7mm銃×2

キ61-1型乙

甲の7.7mm銃を換装し、すべて12.7mm銃にした型。

キ61-1型丙

乙の胴体内機銃をマウザー製20mm砲(MG-151/20?)に換装し、20mm砲×2、12.7mm銃×2とした型。

キ61-1型丁

マウザー砲の在庫がなくなり、代わりに国産の20mm砲(ホ5?)を搭載した型。 弱体化した。

キ61-2型

エンジンを1500馬力の"ハ140"に換装した"2型"の試作。

キ61-2型甲

マウザー砲×2、12.7mm銃×2の武装をもつ型。


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