【日本航空123便墜落事故】(にほんこうくうひゃくにじゅうさんびんついらくじこ)

1985年(昭和60年)8月12日夕刻に発生した旅客機墜落事故。
墜落したのは日本航空B747SR-46旅客機シリアルナンバーはJA8119。

事故の経緯

同機は大阪・伊丹空港行き123便として羽田空港から離陸。
フライト中に本来の飛行コースを外れ、群馬県多野郡上野村の高天原山(たかまがはらやま)の山中に墜落、乗客・乗員計524人中、520人が死亡した。
これは2011年3月現在、単独の航空機による事故としては世界最多の犠牲者数でもある。
犠牲者には当時の国民的歌手・プロ野球チーム運営会社社長など、複数の著名人が含まれていた。

また、この事故は発生時に関係諸機関が混乱状態に陥った事でも知られる。

  • 生存者の捜索開始当初、墜落現場は長野県側ではないかという憶測が飛び交った*1
  • 防衛庁*2の発表やNHKの報道が二転三転した。
  • 悪戯や誤報に惑わされた各機関が独自の憶測で行動し、連携を維持できなかった。
  • 現場が放射能汚染されている危険性が指摘された*3

などの理由から現場の発見が大きく遅れたとされる。

事故原因

当該事故機は以前に伊丹空港で着陸に失敗した経緯がある。
この時、滑走路に機体後部が接触する『しりもち事故』が発生し*4、客室周囲の圧力隔壁を損傷。
にも関わらず、修理を担当したボーイング社は隔壁が未修復のままの機体を日航に返還してしまった。
結果、通常運航で蓄積した金属疲労によって機体の操縦系統*5が破損、操縦不能状態に陥って墜落に至った。

以上が、公式に発表された事故の原因である。
しかし、これに対して異論を唱える声が当時からあり、それに関する書物もいくつか発表されている。

  • 事故発生時に太平洋上で訓練中の自衛隊*6在日米軍の関与*7を疑う声もある。
  • ボーイング社が、全世界で飛行しているB747を飛行停止にさせないよう、機体そのものの構造的欠陥*8を隠蔽するために事故原因を捏造した」とする陰謀論もある。

*1 つまり、群馬県と長野県のどちらの所轄なのか判然としないために初動が遅れたという。
*2 現・防衛省
*3 医療用の放射性物質が積み込まれていた。また、動翼の部品として劣化ウランが使われていた。
*4 原因はパイロットの操作ミス。この事故で3名が負傷している。
*5 垂直尾翼や油圧操縦システムなど。
*6 実際、本事故最初のイベントである「圧力隔壁の破壊」が起きたとき、現場直下の相模灘で海自護衛艦「まつゆき」(DD-130)が公試運転中で、機体から脱落した部品の一部が同艦に回収されていた。
*7 訓練中の戦闘機地対空ミサイル・艦対空ミサイルの不時発射無人機の空中衝突などの説があげられていた。
*8 圧力漏れがあったときに働くはずの弁が作動していなかった可能性が指摘されていた。

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