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*&ruby(しまかぜ){【島風】}; [#p03767dc]

+大日本帝国海軍・一等[[駆逐艦]]「島風(初代)」。~
大正時代の「八四艦隊計画」で計画・建造された「峯風」級駆逐艦の4番艦として1920年に竣工した。~
+[[大日本帝国海軍>日本軍]]・[[一等駆逐艦>駆逐艦]]「島風(初代)」。~
大正時代の「八四艦隊計画」で計画・建造された[[「峯風」型>峯風]][[駆逐艦]]の4番艦として1920年に竣工した。~
この時の公試運転で、日本製の[[駆逐艦]]としては最速の40.8[[ノット]]を記録した。~
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[[大東亜戦争]]開戦直前の1940年、武装の一部を撤去して哨戒艇((実質上は[[揚陸艦]]であり、約200名分の[[陸戦隊>海兵隊]]居住区が設置され、また[[大型発動艇(大発)>内火艇]]が2隻搭載されていた。))に改装され「第一号哨戒艇」となったが、1943年、カビエン沖合で[[アメリカ海軍]]の[[潜水艦]]「[[ガードフィッシュ>ガトー]]」の雷撃を受けて戦没した。~
[[大東亜戦争]]開戦直前の1940年、武装の一部を撤去して哨戒艇((実質上は[[揚陸艦]]であり、約200名分の[[陸戦隊>海兵隊]]居住区が設置され、また[[大型発動艇(大発)>内火艇]]が2隻搭載されていた。))に改装され「第一号哨戒艇」として船団護衛や揚陸戦に活躍したが、1943年、カビエン沖合で護衛任務中に[[アメリカ海軍]]の[[ガトー級>ガトー]][[潜水艦]]「ガードフィッシュ(SS-217)」の雷撃を受けて戦没した。~
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+大日本帝国海軍・一等[[駆逐艦]]「島風(二代目)」。~
|>|>|CENTER:''スペックデータ''|
|種別|>|CENTER:峯風型駆逐艦|
|主建造所|>|CENTER:舞鶴海軍工廠|
|起工|>|CENTER:1919.9.5|
|進水|>|CENTER:1920.3.31|
|就役|>|CENTER:1920.11.15|
|転籍|>|CENTER:1940.4.1(第1号哨戒艇(実質上は[[揚陸艦]]))|
|退役|>|CENTER:1943.1.12戦没|
|除籍|>|CENTER:1943.2.10|
||CENTER:新造時|CENTER:1941年(哨戒艇へ改装後)|
|排水量&br;([[基準>基準排水量]]/[[公試>公試排水量]])|CENTER:1,215t/1,345t|CENTER:1,270t/1,700t|
|全長|>|CENTER:102.6m|
|全幅|>|CENTER:8.92m|
|喫水|>|CENTER:2.79m|
|主缶|ロ号艦本式罐・重油焚×4基|ロ号艦本式罐・重油焚×2基|
|主機|三菱・パーソンズ式[[蒸気タービン]]×2基&br;(出力38,500hp)|艦本式蒸気タービン×2基&br;(出力19,250hp)|
|~|>|CENTER:推進器×2軸|
|速力|>|CENTER:39[[ノット]]|
|[[航続距離]]|>|CENTER:3,600[[海里]]/14ノット|
|[[燃料]]|>|CENTER:重油:395t|
|乗員|>|CENTER:154名|
|兵装|三年式45口径12cm単装砲×4門&br;6.5mm単装機銃×2挺&br;53.3cm連装魚雷発射管×3基(魚雷8本)&br;1号[[機雷]]×16個|三年式45口径12cm単装砲×2門&br;九六式25mm連装機銃×3基&br;九六式25mm単装機銃×4挺&br;[[爆雷]]×18個|
|その他|>|CENTER:[[大発動艇>揚陸艦]]×2隻&br;陸戦隊約250名収容可能|
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+大日本帝国海軍・[[一等駆逐艦>駆逐艦]]「島風(二代目)」。~
[[大東亜戦争]]開戦直前の「マル五計画(第五次補充計画)」で設計・建造された試作型高速駆逐艦。~
書類上では丙型駆逐艦に分類される。~
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本艦が計画された理由は、[[仮想敵>仮想敵国]]であった[[アメリカ海軍]]の艦艇が、1930年代以後高速化の傾向を辿っていたことにある。~
当時、アメリカの最新型駆逐艦は37ノット以上の快速を誇り、[[戦艦]]でさえ30ノット前後をマークしていたが、その一方で、日本側の主力駆逐艦は35ノット前後の速力に抑えられ、戦艦に至っては、元[[巡洋戦艦]]だった[[金剛]]級以外は24〜25ノット程度の低速であった。~
こうした彼我の速度差を改善すべく、次世代高速駆逐艦のテストベッドとして建造されたのが本艦であった。~
当時、アメリカの最新型駆逐艦は37ノット以上の快速を誇り、[[戦艦]]でさえ30ノット前後をマークしていたが、その一方で、日本の当時の主力駆逐艦は35ノット前後の速力に抑えられ((大正〜昭和初期に建造された艦は37〜39ノットと高速であったのだが。))、戦艦に至っては、元・[[巡洋戦艦]]だった[[金剛]]級以外は24〜25ノット程度と低速((後の[[大和]]級ですら27ノットしか出せなかった。))であった。~
こうした彼我の速度差を改善すべく、[[「夕雲」級>夕雲]]の1隻として建造されていた艦を設計変更し、次世代型高速駆逐艦のテストベッドとしたのが本艦であった。~
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本艦は高速を発揮するため、船体は造波抵抗の少ない細長いシルエットになり、船首も従来のダブルカーペチャー・バウからクリッパー・バウに改められた。~
それ以外の装備は従来の「夕雲」級と同じであったが、[[魚雷]]兵装には帝国海軍でも初めてとなる5連装式発射管が搭載されていた。~
本艦は「夕雲」級をベースとしていたが、高速を発揮するために、船体は造波抵抗の少ない細長いシルエットになり、船首も従来のダブルカーペチャー・バウからクリッパー・バウに改められた。~
それ以外の上部構造物や[[主砲>艦載砲]]などの装備は従来の「夕雲」級とほぼ同じであったが、[[魚雷]]兵装には帝国海軍でも初めてとなる5連装式発射管が搭載され、強力な雷撃力を発揮できるようになっていた。~
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本艦は竣工後、公試運転で先代の1.と同様に40ノットをマークし、一応の成功を収めた。~
これを受けて、1942年策定の「マル六計画(第六次補充計画)」で同型艦16隻の建造が計画されたが、駆逐艦にしてはオーバースペック((特に、機関部の製造コストが[[戦艦]]の搭載機関並みになるという[[金の壁]]が問題視された。))であったことから、続いて策定された「改マル六計画」では全艦がキャンセルされ、「夕雲」級の建造計画に振り替えられてしまった。~
また、本艦自体も、[[航空主兵主義]]が支配する太平洋の戦場では期待された本来のスペックを発揮する機会を得られないまま、1944年にフィリピン近海で戦没してしまった。~
本艦は竣工後、公試運転で先代の1.と同様に40ノットをマークし、一応の成功を収めた((ただしこれは、[[燃料]]・弾薬・食糧・真水などの消耗品を定数の半分のみ搭載し、負荷を軽減する形で計測した記録だった。&br; (当時、艦船の速力計測は消耗品を定数の2/3だけ搭載した状態で測るのが普通だった)))。~
これを受けて、1942年策定の「マル六計画(第六次補充計画)」で同型艦16隻の建造が計画されたが、当時の日本海軍における駆逐艦((当時、日本海軍において駆逐艦は「軍艦」と位置づけられていなかったため、1隻のみでは戦術単位としてみなされず、同型艦数隻を集めた「駆逐隊」をもって1隻の軍艦と同格の戦術単位としていた。))としてはオーバースペック((特に、高速を発揮するために作られた大出力[[エンジン]]の製造コストが、[[戦艦]]に搭載するものとほぼ同じ、という[[金の壁]]が問題視された。))であったことから、続いて策定された「改マル六計画」では全艦がキャンセルされ、「夕雲」級の建造計画に振り替えられてしまった。~
~
また、本艦自体も、[[航空主兵主義]]が支配する太平洋の戦場では期待された本来のスペックを発揮する機会を得られないまま、1944年に輸送作戦護衛中にフィリピン近海オルモック湾にて米軍機の攻撃により戦没してしまった。~
~
|>|CENTER:''スペックデータ''|
|艦種|駆逐艦(丙型駆逐艦)|
|主建造所|舞鶴海軍工廠|
|起工|1941.8.8|
|進水|1942.7.18|
|就役|1943.5.10|
|退役|1944.11.11戦没|
|除籍|1945.1.10|
|[[基準排水量]]|2,567t|
|[[公試排水量]]|2/3状態:3,048t&br;1/2状態:2,920t|
|[[満載排水量]]|3,323.9t|
|全長|129.5m|
|水線長|126m|
|垂線間長|120.5m|
|全幅|11.2m|
|深さ|7.02m|
|吃水|2/3状態:4.14m&br;1/2状態:4.02m&br;満載:4.36m|
|主缶|ロ号艦本式罐・重油焚(空気余熱器・収熱器付)×3基|
|主機|艦本式タービン(高中誼罩仰祕機法2基|
|推進器|2軸(370rpm、スクリュー直径:3.600m(計画3.550m))|
|機関出力|75,000hp(計画)&br;75,890hp(公試全力)&br;79,240hp(過負荷全力)|
|最大速力|39ノット(計画)&br;40.37[[ノット]](公試全力)&br;40.90ノット(過負荷全力)|
|[[航続距離]]|6,000浬/18ノット|
|[[燃料]]|重油:635t|
|兵員|267名(計画)&br;294名(竣工時)|
|兵装|三年式50口径12.7cm連装砲D型改一×3基&br;96式25mm連装機銃×2基&br;93式13mm連装機銃×1基(竣工時)&br;25mm機銃(3連装×4基、連装×1基、単装×7挺、単装据付座×7基)&br;13mm単装機銃×1挺(1944年6月)&br;零式5型5連装魚雷発射管×3基(九三式魚雷15本)&br;94式爆雷投射機×1基(装填台×1基、水圧投下台×2基、手動投下台×4基)&br;投下軌道×2組(1944年6月)&br;[[爆雷]]×18個&br;小掃海具×2組|
|搭載艇|9m[[内火艇]]×1隻、7.5m内火艇×1隻、7mカッター×2隻、6m通船×1隻(港保管)|
|[[電探>レーダー]]|竣工時:22号電探×1基&br;1944年6月:22号電探×1基、13号電探×1基|
|[[ソナー]]|九三式水中聴音機×1組(後日装備)&br;九三式探信儀三型×1組|
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+[[海上自衛隊]]・ミサイル[[護衛艦]]「しまかぜ(JMSDF Shimakaze DDG-172)」。~
1980年代に計画された、[[はたかぜ]]級ミサイル護衛艦の2番艦として1988年に竣工した艦。~
艦の詳細は[[はたかぜ]]の項を参照のこと。
1980年代に計画された「[[はたかぜ]]」級ミサイル護衛艦の2番艦として、1988年に竣工した大型護衛艦。~
艦の詳細は[[はたかぜ]]の項を参照のこと。~
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イージスシステムを搭載した「[[こんごう]]」級の建造が決まったため、従来型ミサイル護衛艦の調達は本艦を最後に打ち切られた。~
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+[[海上保安庁]]巡視艇「しまかぜ」(MSA Shimakaze CL-22)。~
1962年、「なつかぜ」級巡視艇の2番艇として建造された巡視艇。公称は15メートル型巡視艇。~
1962年1月31日に横浜ヨット工作所で竣工し、第五管区大阪海上保安監部に配属されて活躍したが、1979年10月15日に除籍。~
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+[[海上保安庁]]巡視艇「しまかぜ(2代)」(MSA→JCG Shimakaze CL-59)。~
1995年、「すずかぜ」級((1番艇の艇名変更に伴い、現在では「ひめぎく」型とも呼ばれる。))巡視艇の49番艇として建造された巡視艇。~
現在は第二管区塩竈海上保安部・石巻海上保安署に配属されている。~
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|>|CENTER:''スペックデータ''|
|[[満載排水量]]|19t|
|総トン数|23t|
|全長|20.0m|
|全幅|4.3m|
|深さ|2.3m|
|機関|MAN D2842LYE またはMTU 12V183TE92型V型12気筒4サイクル[[ディーゼル>ディーゼルエンジン]]×2基2軸推進|
|機関出力|910PS×2、計1,820PS|
|速力|30[[ノット]]|
|[[航続距離]]|160[[海里]]|
|乗員|5人|
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