【鎮台】(ちんだい)

1871(明治4)年から1888(明治21)年まで旧帝国陸軍に設置されていた部隊の編成単位で、常設される部隊としては最大の単位だった。
兵制としてはかつての明治政府直轄軍「御親兵」の後を継ぐもので、鎮台の設置と徴兵制の実施を以って、日本における近代陸軍の始まりとしていた。
1888(明治21)年に「師団」への改組で廃止された。

「鎮台」は郷土連隊主義・軍管区制の兵制だったオランダ陸軍を模範にした編成で、当初、日本における陸軍の主任務は外征ではなく、戊辰戦争後の治安維持だった。
そして戦時の場合は機動性に欠ける鎮台を、部隊が独立して行動できるような編成に拡張された「旅団」(明治18年以降は「師団」)に臨時改編することで対応した。

鎮台の歴史と師団への改編

1871(明治4)年、太政官布告で将来全国に鎮台を設置することを布告した上で「東山道鎮台」(本営:石巻 分営:福島・盛岡)と「西海道鎮台」(本営:小倉 分営:博多・日田)の2鎮台を設置した。

そして同年の廃藩置県で従来の地方自治組織である「藩」が無くなり、全国が明治政府の直轄となった。
同時に「兵部省職員令」が出され、「東山道」・「西海道」の2鎮台を廃止し、北海道、石巻、東京、大阪、小倉の5ヶ所に鎮台を置く構想が練られた。

しかし、北海道は他地方と比べ人口が極端に少なかったため、鎮台の設置は後回しにされ、結果的に「東京」、「大阪」、「鎮西(熊本)」、「東北(仙台)」の4鎮台が設置され、各鎮台管下に1つの本営と1〜3の分営が設置された。

1873(明治6)年に「徴兵令」が公布されたことに伴い、陸軍大輔山縣有朋?の建議に基づいて日本全国を6つの「軍管区」に分け、既存の東京、仙台(旧・東北)、大阪、熊本(旧・鎮西)の4鎮台に加え、名古屋、広島の2鎮台が増設され、軍管区の司令部とした。
そして1つの軍管区を2〜3の「師管区」に分け、師管区の司令部として「営所」が、各師管区に歩兵連隊が1個ずつ設置された。

軍管区・鎮台営所(師管区)歩兵連隊
第一軍管区・東京鎮台東京(第1師管区)歩兵第1連隊
佐倉(第2師管区)歩兵第2連隊
新潟(第3師管区)歩兵第3連隊
第二軍管区・仙台鎮台仙台(第4師管区)歩兵第4連隊
青森(第5師管区)歩兵第5連隊
第三軍管区・名古屋鎮台名古屋(第6師管区)歩兵第6連隊
金沢(第7師管区)歩兵第7連隊
第四軍管区・大阪鎮台大阪(第8師管区)歩兵第8連隊
大津(第9師管区)歩兵第9連隊
姫路(第10師管区)歩兵第10連隊
第五軍管区・広島鎮台広島(第11師管区)歩兵第11連隊
丸亀(第12師管区)歩兵第12連隊
第六軍管区・熊本鎮台熊本(第13師管区)歩兵第13連隊
小倉(第14師管区)歩兵第14連隊


また同年に「鎮台条例」が制定され、第七軍管区が北海道に設置されることになり、6鎮台・7軍管区(北海道を含む)・14師管区の体制が整えられた。
1885(明治18)年の鎮台条例改定で1つの軍管区を2個の師管区に区分することで統一され、1つの師管区には1個旅団・2個歩兵連隊が設置されることとなった。

軍管区・鎮台営所(師管区)歩兵連隊
第一軍管区・東京鎮台東京(第1師管区)歩兵第1連隊(東京)
歩兵第15連隊(高崎)
佐倉(第2師管区)歩兵第2連隊(佐倉)
歩兵第3連隊(東京)
第二軍管区・仙台鎮台仙台(第3師管区)歩兵第4連隊(仙台)
歩兵第16連隊(新発田)
青森(第4師管区)歩兵第5連隊(青森)
歩兵第17連隊(仙台)
第三軍管区・名古屋鎮台名古屋(第5師管区)歩兵第6連隊(名古屋)
歩兵第18連隊(豊橋)
金沢(第6師管区)歩兵第7連隊(金沢)
歩兵第19連隊(名古屋)
第四軍管区・大阪鎮台大阪(第7師管区)歩兵第8連隊(大阪)
歩兵第9連隊(大津)
姫路(第8師管区)歩兵第10連隊(姫路)
歩兵第20連隊(大阪)
第五軍管区・広島鎮台広島(第9師管区)歩兵第11連隊(広島)
歩兵第21連隊(広島)
松山(第10師管区)歩兵第12連隊(丸亀)
歩兵第22連隊(松山)
第六軍管区・熊本鎮台熊本(第11師管区)歩兵第13連隊(熊本)
歩兵第23連隊(熊本)
小倉(第12師管区)歩兵第14連隊(小倉)
歩兵第24連隊(福岡)
第七軍管区

そして1888(明治21)年に鎮台は「師団」に改編され、従来の軍管区は「師管区」、師管区は「旅管区」に改称され、旅管区管下に「大隊区」が設けられ、必要に応じて大隊区の管下に「警備隊区」が設けられた*1
このように部隊の増設、廃止などが繰り返され、帝国陸軍廃止まで至る。


*1 後に大隊区は「連隊区」となる。

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