【徴兵令】(ちょうへいれい)

大日本帝国政府が「富国強兵」政策に則って徴兵制を実施するため、明治6年(1873年)に公布した法律。
その後、昭和2年(1927年)に全面改正され「兵役法」と改められた。
20歳(1943年からは19歳)に達した日本国民の男子に徴兵検査を受けさせ、それにより3年間の兵役義務を課した。
徴兵検査(兵役検査)では、身長・体重・身体能力などがテストされ、それによって以下のカテゴリーに振り分けられた*1

  • 甲種(現役に適する)*2
    ※特に近衛師団へ配属される兵士は、このカテゴリーから優先的に選抜されていた。
  • 乙種(現役に適する)
    ※平時はこのカテゴリーまでの若者が選抜され、現役兵として入営(入隊)した。
     後に「第一乙種」「第二乙種」と分割された*3
  • 丙種(国民兵役に適する)
    ※平時は現役兵として入営することはなかった(入隊検査後に一旦帰宅できた)が、戦時には予備・後備役として動員されることになっていたため、相応の軍事教練を受ける必要があった。
  • 丁種(兵役不合格)
    ※「身体能力に著しい欠陥がある」と判断された受検者。
     徴兵逃れのためにわざと体調を崩し*4、この判定をもらおうとする者もいた。
  • 戊種(合否保留)
    ※「病中・病後」などの事情により、合否の判断が困難とされた受検者。
     次回の徴兵検査で再判定させられた。

関連:赤紙 徴兵制


*1 この区分は陸軍への入隊者に適用されるものだった。
  なお、海軍は志願制が原則で、志願者の不足分を徴兵で補っており、その兵役検査を陸軍に委託していた。

*2 判定基準はおおむね「身長152cm以上・身体頑健」だった。
*3 現役志願者及び甲種合格者の人員不足の際に抽選で当たった者が「第一乙種」、抽選に外れた者が「第二乙種」となっていた。
*4 当時、徴兵逃れのために実行された最もポピュラーな手段は「直前に大量の醤油を飲み、心臓発作と類似の状態を作り出す」方法だった。

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