【徴兵令】(ちょうへいれい)

大日本帝国政府が「富国強兵」政策に則って徴兵制を実施するため、明治6年(1873年)に公布した法律。
その後、昭和2年(1927年)に全面改正され「兵役法」と改められた。
20歳(1943年からは19歳)に達した日本国民の男子に徴兵検査を受けさせ、それによって兵役義務(原則として現役2年間・予備役5年4ヶ月間*1)を課した。

関連:赤紙 徴兵制

日本における徴兵検査

本法令による徴兵検査(兵役検査)は、毎年4月15日〜7月3日までの間に実施されていた。
会場には各地の公会堂や小学校などが充てられ、その地を所管する連隊区司令部から派遣されてきた佐官級将校が「徴兵官」として監督に当たり、これを郡市町村役場の兵事係職員が補助していた。
また、身体検査は部隊から派遣された衛生部員が行い、会場整理などの雑務は在郷軍人会から派遣された人員(予備役将兵など)が務めていた。

検査を受ける者は、褌一つの姿*2になって身体計測や健康診断*3を受けた。
検査が終わると以下のように振り分けられ、徴兵官から直ちに合否が告げられた。
その後、外地勤務や海軍*4への希望の有無も問われた。

  • 甲種(現役に適する)
    判定基準はおおむね「身長152cm以上・身体頑健・視力がある程度良好」。
    この種別になると現役兵として入営(入隊)することになっていた(ただし、合格者多数の場合は抽選)。
  • 乙種(現役に適する)
    身体が普通に健康な者。
    甲種合格者が予定人数に満たなかった場合は、志願及び抽選により入営者を選んだ。
  • 丙種(国民兵役に適する)
    平時は現役兵として入営することはなかった(入隊検査後に一旦帰宅できた)が、戦時には予備・後備役として動員されることになっていたため、相応の軍事教練を受ける必要があった。
  • 丁種(兵役不合格)
    「身体能力に著しい欠陥がある」と判断された受検者。
    徴兵逃れのためにわざと体調を崩し、この判定をもらおうとする者もいた。
  • 戊種(合否保留)
    「病中・病後」などの事情により、合否の判断が困難とされた受検者。
    次回の徴兵検査で再判定させられた。

徴兵逃れ

大日本帝国憲法下で、兵役は「国民の義務」の一つであったが、当の国民にとっては、一家の若い働き手を数年間兵舎に拘束されることになるため、あの手この手の「徴兵逃れ」が考え出され、実行に移された。
その方法には「検査の直前、わざと不健康な生活を送って体調を崩す」「直前に大量の醤油を飲み、心臓発作と同じ症状を作り出す」などがあった。


*1 1943年からは15年4ヶ月間に延長。
*2 最後には性感染症の検査のためにその褌すらも外させられたという。
*3 軍医の問診・触診・聴診及び簡単な動作をさせての観察などにより行われた。
*4 海軍は徴兵事務を陸軍に委託していた。

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