*&ruby(ちゅうとうせんそう){【中東戦争】}; [#d672c526]
イスラエルと、エジプトを中心とするアラブ諸国(シリア、ヨルダン)との間に勃発した一連の戦争。~
代表的な大規模なものに1948年の第一次中東戦争から1973年の第四次中東戦争があり、散発的な戦闘を含めると2009年現在も終わる事無く続いている。

-第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)1948年~
パレスチナに入植中であったユダヤ人集団が一方的にイスラエルの建国を宣言、それを認めないアラブ人勢力とそれを支援する周辺国がイスラエルの排除を目的とし勃発。~
イスラエルは兵力差1/5以下であったが高い[[士気]]と戦術、各地に散らばるユダヤ人の協力資金により[[第二次世界大戦]]の余剰兵器を購入((驚くべき事に、ユダヤ資本であったにも関わらず、ナチ時代のドイツ製兵器である[[Bf109]]等も(正確にはチェコスロバキア製アビアS199だが)購入している。))、アラブ諸国を跳ね返し、双方が国連の介入を受ける形で一応の終戦を迎えた。~
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-第二次中東戦争(スエズ動乱)1956年~
エジプトの指導者、ナセル大統領がスエズ運河の領有を宣言、運河に利権を持つ英仏国がイスラエルを扇動。両者の利害が一致しエジプトに侵攻した。~
英仏の兵器供与を受けたイスラエルの侵攻によりエジプトは防戦ままならずスエズ以東のシナイ半島を奪われた。~
最終的には米ソを筆頭とした国際社会が英仏イを非難、((ソビエトは「イギリスを攻めるのに海軍は必要なく、今はミサイルさえ有れば良い」と、暗に[[核兵器]]の使用すらほのめかした))撤退し戦争は終結した。~
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-第三次中東戦争(六日間戦争)1967年6月5日〜1967年6月10日~
アラブ諸国の侵攻計画を事前に察知したイスラエルが先制奇襲攻撃を実施し開戦。~
「レッド・シート作戦」と呼ばれるイスラエル空軍による[[攻勢対航空作戦]]波状攻撃でエジプト空軍は400機の航空機を地上撃破され、1日目にして空軍力を失った。~
イスラエル軍の空地一体戦によりシナイ半島全域、東エルサレム、ゴラン高原を占領し停戦した。~
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-第四次中東戦争(ヨムキプール戦争 / ラマダン戦争)1973年10月6日〜~
イスラエルの警戒が緩む贖罪の日(ヨムキプール)にあわせ、250機のエジプト空軍機がイスラエルへの先制奇襲攻撃を実施、第三次とは全く逆の状況にイスラエル軍は多大な損害を受ける。~
ソビエトから[[ZSU-23-4]]、[[RPG-7>RPG]]、9M14「マリュートカ」(AT-3サガー)、[[SA-6]]、[[SA-7]]といった兵器の供与を受けたシリア・エジプト両軍はゴラン高原、シナイ半島を一部奪還した。~
当時、イスラエル空軍機が装備していたRHAWシステムではこれらの新兵器に対応出来ず、開戦3日で空軍は[[F-4]]、[[A-4]]など60機の作戦機、陸軍では戦車400両以上が失われることとなった。~
しかし、アメリカの大規模なバックアップを受けたイスラエルが反撃に移ると奪われた土地は再びイスラエルに占領され、シリアは首都ダマスカスの目前まで、エジプトはスエズまで押し戻され、停戦した。~
なお、この教訓から同国は主力戦車「メルカバ」を生み出し、対戦車ミサイル対策として爆発反応装甲を実用化した。~
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1979年、4次にわたる中東戦争において、アラブ諸国陣営のリーダーを務めてきたエジプトがイスラエルとの和平条約を締結。翌年には両国の国交が正常化し82年にはシナイ半島全域がエジプトに返還された。~
これによりイスラエル・エジプト間の戦争は完全に終結し、現在に至るまで大規模な交戦は行われていない。~
一方、イスラエル・シリア間では、レバノンを巡りその後も何度か大規模な交戦が勃発している。

**日本への影響 [#v42a19e1]
上記の通り、この戦争はわが国から遠く離れた中東での戦いであるが、この地域に国内で消費する石油資源の多くを依存していることから、日本にも影響が及んだことがある。~
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1973年の第四次中東戦争の折、アラブの産油国が石油価格の大幅引き上げとイスラエルを支援する国家への禁輸を決定。~
これによってもたらされた石油価格の上昇と諸物資の便乗値上げとがあいまって、国内の消費は低迷。~
(石油価格に直接関係のない)トイレットペーパーや砂糖などの買占め・売り惜しみ騒動が発生したり、デパートのエスカレーターの運転休止・テレビの放送時間短縮・ネオンサインの早期消灯・ガソリンスタンドの日曜休業などが実施されたりと、国民生活にも大きな混乱がもたらされた。~
また、これにより、1960年代からの「高度経済成長」も終結することになった。

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