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*&ruby(ちゅうとうせんそう){【中東戦争】}; [#d672c526]
[[第二次世界大戦]]後、イスラエルと、エジプトを中心とするアラブ諸国(シリア、ヨルダン)との間に勃発した一連の戦争。~
代表的かつ大規模なものに、1948年の第一次中東戦争から1973年の第四次中東戦争までの4つの戦争があり、散発的な戦闘を含めると2009年現在も終わる事無く続いている。
[[第二次世界大戦]]後、イスラエルとアラブ諸国(エジプト((1979年、第四次中東戦争の停戦を受けてエジプトとイスラエルは和平条約を締結。&br;  翌年には両国の国交が正常化され、1982年にはシナイ半島全域がエジプトに返還された。&br;  イスラエル・エジプト間の戦争は完全に終結し、現在まで大規模な交戦は行われていない。))、シリア、ヨルダン)との間に勃発した一連の戦争。~
代表的かつ大規模なものだけでも4回に渡って勃発し、散発的な戦闘を含めれば現代まで終結していない。~
開戦はイスラエル建国から3日目で、これ以後、現在に至るまでイスラエルは戦時体制を継続している。~
実際、レバノンを巡るイスラエル・シリア間での緊張状態は現在も予断を許さない状況にある。

-第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)1948年~
パレスチナに入植中であったユダヤ人集団が一方的にイスラエルの建国を宣言、それを認めないアラブ人勢力とそれを支援する周辺国がイスラエルの排除を目的とし勃発。~
イスラエルはアラブ諸国に比べ、兵力差1/5以下であったが、高い[[士気]]と優れた戦術を擁し、また、世界各地に散らばるユダヤ人の協力資金によって[[第二次世界大戦]]の余剰兵器を購入((驚くべき事に、ユダヤ資本であったにも関わらず、ナチ時代のドイツ製兵器である[[Bf109]]等も(正確にはチェコスロバキア製のアビアS199だが)購入している。))して対抗、アラブ諸国の攻勢を跳ね返した。~
結局、双方が国連の介入を受ける形で一応の終戦を迎えた。~
**主要な会戦 [#c193d258]
:''第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)1948年''|パレスチナに入植中であったユダヤ人集団が一方的にイスラエルの建国を宣言。~
それを認めないアラブ人勢力とそれを支援する周辺国がイスラエルの排除を目的とし勃発。~
イスラエルの兵力はアラブ諸国の1/5以下であったが、[[士気]]と戦術と資金力によって対抗((世界各地に散らばるユダヤ人の協力資金で[[第二次世界大戦]]の余剰兵器を大量購入。&br;  驚くべき事に、ユダヤ資本であったにも関わらず、ナチ時代のドイツ製兵器である[[Bf109]]等も(正確にはチェコスロバキア製のアビアS199だが)購入している。))。~
アラブ諸国の攻勢は跳ね返され、双方が国連の介入を受ける形で一応の終戦を迎えた。

:''第二次中東戦争(スエズ動乱)1956年''|エジプトの指導者、ナセル大統領がスエズ運河の領有を宣言。~
これに対し、運河に利権を持つ英仏がイスラエルを扇動、両者の利害が一致しエジプトに侵攻した。~
英仏の兵器供与を受けたイスラエルに対して防戦ままならず、スエズ以東のシナイ半島が占領された。~
しかし、国際社会が英仏イを非難((特にソ連は「イギリスを攻めるのに海軍は必要なく、今はミサイルさえ有れば良い」と、暗に[[核兵器]]の使用すらほのめかした。))。これを受けて三国が撤退し、戦争は終結した。~
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なお、開戦日はイスラエルの建国から3日目のことであり、これ以後、現在に至るまでイスラエルは戦時体制を継続している。~
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-第二次中東戦争(スエズ動乱)1956年~
エジプトの指導者、ナセル大統領がスエズ運河の領有を宣言。~
これに対し、運河に利権を持つ英仏がイスラエルを扇動。両者の利害が一致しエジプトに侵攻した。~
英仏の兵器供与を受けたイスラエルの侵攻により、エジプトは防戦ままならずスエズ以東のシナイ半島を奪われた。~
最終的には米ソを筆頭とした国際社会が英仏イを非難((特にソ連は「イギリスを攻めるのに海軍は必要なく、今はミサイルさえ有れば良い」と、暗に[[核兵器]]の使用すらほのめかした。))。これを受けて三国が撤退し、戦争は終結した。~
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-第三次中東戦争(六日間戦争)1967年6月5日〜1967年6月10日~
アラブ諸国の侵攻計画を事前に察知したイスラエルが、先制奇襲攻撃を実施し開戦。~
「レッド・シート作戦」と呼ばれる、イスラエル空軍による波状攻撃([[攻勢対航空作戦]])で、エジプト空軍は400機の航空機を地上撃破され、1日目にして空軍力を失った。~
イスラエル軍の空地一体戦によりシナイ半島全域、東エルサレム、ゴラン高原を占領し停戦した。~
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また、この戦争で、フランスの[[ド・ゴール>シャルル・ド・ゴール]]政権はイスラエルへの武器禁輸という制裁措置を発動。~
これによりイスラエル空軍は機体の供給源を事実上失い、同国唯一の航空機メーカーである[[IAI]]社は[[ネシェル]]・[[クフィル]]といった国産戦闘機の自主開発に乗り出した。~
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-第四次中東戦争(ヨムキプール戦争 / ラマダン戦争)1973年10月6日〜~
イスラエルの警戒が緩む贖罪の日(ヨムキプール)にあわせ、250機のエジプト空軍機がイスラエルへの先制奇襲攻撃を実施、第三次とは全く逆の状況にイスラエル軍は多大な損害を受ける。~
ソビエトから[[ZSU-23-4]]、[[RPG-7>RPG]]、9M14「マリュートカ」(AT-3サガー)、[[SA-6]]、[[SA-7]]といった兵器の供与を受けたシリア・エジプト両軍はゴラン高原、シナイ半島を一部奪還した。~
当時、イスラエル空軍機が装備していたRHAWシステムではこれらの新兵器に対応出来ず、開戦3日で空軍は[[F-4]]、[[A-4]]など60機の作戦機、陸軍では戦車400両以上が失われることとなった。~
しかし、アメリカの大規模なバックアップを受けたイスラエルが反撃に移ると、奪われた土地は再びイスラエルに占領され、シリアは首都ダマスカスの目前まで、エジプトはスエズまで押し戻され、停戦した。~
なお、この教訓から同国は主力戦車「メルカバ」を生み出し、[[対戦車ミサイル]]対策として[[爆発反応装甲]]を実用化した。~
:''第三次中東戦争(六日間戦争)1967年6月''|アラブ諸国の侵攻計画を事前に察知したイスラエルが先制奇襲計画「レッド・シート作戦」を実行し、開戦。~
イスラエルの[[攻勢対航空作戦]]によってエジプト空軍は1日にして約400機の[[航空機]]を喪失。~
[[航空優勢]]を完全に喪失し、そのままシナイ半島全域、東エルサレム、ゴラン高原を奪われ、停戦。

>この戦争に際し、フランスの[[ド・ゴール>シャルル・ド・ゴール]]政権はイスラエルへの制裁措置を発動。~
これに伴う武器禁輸で、イスラエル空軍は機体供給源を喪失した。~
これを契機に、イスラエルの[[航空機]]メーカー[[IAI]]社は国産[[戦闘機]]の開発開発に乗り出した。~
同社は後に[[ネシェル]]・[[クフィル]]などを世に送り出す事となる。

1979年、4次にわたる中東戦争において、アラブ諸国陣営のリーダーを務めてきたエジプトがイスラエルとの和平条約を締結。翌年には両国の国交が正常化され、1982年にはシナイ半島全域がエジプトに返還された。~
これによりイスラエル・エジプト間の戦争は完全に終結し、現在に至るまで大規模な交戦は行われていない。~
一方、イスラエル・シリア間では、レバノンを巡りその後も何度か大規模な交戦が勃発している。
:''第四次中東戦争(ヨムキプール戦争 / ラマダン戦争)1973年10月''|イスラエルの警戒が緩む贖罪の日(ヨムキプール)に狙ったエジプトの奇襲攻撃で開戦。~
250機のエジプト空軍機がイスラエルへの先制奇襲により、イスラエル軍は多大な損害を受ける。~
[[ソ連軍]]から兵器供与を受けたシリア・エジプト両軍はゴラン高原、シナイ半島を一部占領した。~
イスラエルはソ連製の新兵器に対応出来ず、開戦3日で[[航空機]]40、[[戦車]]400以上を喪失。~
~
しかし、アメリカが大規模な介入を行い、イスラエルは戦力を盛り返して反撃に移る。~
エジプトの占領地は全て奪還され、シリアは首都目前、エジプトはスエズまで押し戻されて停戦。~

**日本への影響 [#v42a19e1]
上記の通り、この戦争はわが国から遠く離れた中東での戦いであり、外交的にも中立の立場を取ってきたが、この地域に、国内で消費する石油資源の多くを依存していることから、日本にも影響が及んだことがある。~
>なお、この教訓からイスラエルは[[主力戦車]]「メルカバ」を開発。~
[[対戦車ミサイル]]対策として[[爆発反応装甲]]を実用化した。~

**日本への影響(オイルショック)[#v42a19e1]
日本は遠く離れた中東の情勢にさほど深く関与せず、軍事的にも外交的にも中立の立場を貫いた。~
しかし、石油資源の多くを中東からの輸入に依存する関係上、全く影響を受けないわけにはいかなかった。~
世に言う「第一次オイルショック」である。~
~
1973年の第四次中東戦争の折、アラブ圏の産油国が石油価格の大幅引き上げ、及び(アメリカを筆頭とした)イスラエルを支援する国家への石油禁輸を決定。((この決定で、アメリカと関係の深い日本も石油輸入を止められる危惧が起きたが、最終的には回避された。))~
これによってもたらされた石油価格の上昇と諸物資の便乗値上げとがあいまって、日本の工業生産及び消費は大きく低迷。(第一次オイルショック)~
1960年代から続いてきた「高度経済成長」も終結することになった。~
第四次中東戦争の折、アラブ圏の産油国は石油価格の引き上げと、イスラエル支援国家への石油禁輸を決定。~
日本は石油禁輸を受けたわけではないが、石油高騰に伴う物価上昇によって経済に大打撃を受けた。~
これにより、日本の高度経済成長期は完全に終わってしまった。~
~
また、この時には石油輸入の途絶が一時懸念されたことから、国民生活にさまざまな影響が引き起こされた。~
その一例を次に述べる。~
-(石油価格に直接関係のない)トイレットペーパーや洗剤などの買占め・売り惜しみ騒動
-新聞・週刊誌・漫画雑誌などのページ数大幅削減~
(上記のトイレットペーパーと同様、紙資源の枯渇が懸念されてのことである)
-ガソリンスタンドの日曜・祝日休業
-デパートのエスカレーター運転休止~
-テレビの放送時間短縮((NHKは日中の午後と深夜帯(午後11時以降)の放送を、民放も深夜帯の放送(深夜0時以降)を一時休止した。))
-ネオンサインの早期消灯
また、この時期には石油輸入の途絶が懸念され、国民生活にさまざまな影響が引き起こされた。~
それらはデマゴーグの影響も大きく、総じて風評被害と言うべき性質のものであった。

>○トイレットペーパーや洗剤などの買占め・売り惜しみ騒動。~
○新聞・週刊誌・漫画雑誌などのページ数大幅削減。~
○ガソリンスタンドの日曜・祝日休業。~
○デパートのエスカレーター運転休止。~
○テレビの放送時間短縮。~
○ネオンサインの早期消灯。~

…などなど。
関連:[[YS-11]]

なお、一部資料では「国産旅客機・[[YS-11]]の生産中止」もこの影響、としているものがあるが、これは正しくない。


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