【竹橋事件】(たけばしじけん)

1878(明治11)年8月23日、東京・竹橋付近に駐屯していた帝国陸軍近衛兵*1が引き起こしたクーデター未遂事件。

概要

決起したのは近衛砲兵大隊竹橋部隊の兵卒ら259名。
事件の動機としては「西南戦争での論功行賞の遅れと不公平」「兵役制度への不満」から、それらを明治天皇に直訴するために行動を起こしたとされる*2

決起兵は部隊の週番士官などを殺害し、営内や周辺の住居数軒に放火、さらに装備の山砲を引いて大隈重信の公邸*3に砲撃を加え、明治天皇のいる赤坂仮御所に迫りつつあった。
しかし、近衛歩兵隊や東京鎮台(後の歩兵第1師団)の兵からの反撃で決起兵は鎮圧され、事件は発生から34時間後に解決した。

結果

決起兵は事件後、陸軍裁判所にかけられ、55人が死刑、その他徒刑などの判決が下された。
その後、事件を教訓に将兵の思想統一を図る「軍人勅諭?」の発布や隊内の治安維持に携わる憲兵の創設が行われ、近衛兵とは別に「門部」と呼ばれる宮内省の警備組織*4が設置された。


*1 1872年から1891年まで近衛部隊は「近衛」という名称で、1891年に「近衛師団」として改組された。
*2 近年の研究では「自由民権思想の影響があった」とする説もある。
*3 現在の清水門前に所在。
  大隈邸が襲撃目標とされたのは、大隈が当時大蔵卿の職にあり、論功行賞の削減を企図したといわれたため。

*4 その後数度の改編を経て、現在の皇宮警察となった。
 なお、現在の皇宮警察は警察庁の管轄下に属している。


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