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*&ruby(だいごくうぐん(あめりかぐん)){【第5空軍(アメリカ軍)】}; [#u3936a19]
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|>|概要|
|創設年月日|1942年9月18日|
|所属国|アメリカ合衆国|
|軍種|[[アメリカ空軍]]|
|上級部隊|[[太平洋空軍>アメリカ太平洋軍]]|
|上級部隊|[[太平洋空軍>アメリカインド太平洋軍]]|
|基地|日本・[[横田基地]]|
第5空軍は[[アメリカ空軍]]における航空軍の一つで、[[在日アメリカ軍]]での主要空軍部隊である。~
部隊管理や作戦指揮については[[太平洋空軍>アメリカ太平洋軍]]の傘下にある。~
また第5空軍の司令官は代々[[在日アメリカ軍]]の司令官と[[在日アメリカ空軍>在日アメリカ軍]]司令官を兼務しており、[[空軍中将>アメリカ空軍]]が就いている。~
~
USAF Fifth Air Force.~
~
[[アメリカ空軍]]における戦略級部隊単位である「航空軍」の一つ。~
司令部は[[横田基地]]に置かれ、[[在日アメリカ軍]]の主要[[空軍]]部隊となっている。~
~
[[部隊]]管理や[[作戦]]指揮については[[太平洋空軍>アメリカインド太平洋軍]]の傘下にある。~
また、本部隊の司令官は代々[[在日アメリカ軍]]の司令官と[[在日アメリカ空軍>在日アメリカ軍]]司令官を兼務している。~
~
1991年のソ連崩壊まではフィリピン以北・ハワイ以西の北方太平洋全域上空を作戦空域としていたが、以後は作戦空域が大幅に拡大され、アラスカからパナマ、カンボジア、インドネシアそして中東までの広範囲を作戦空域としている。~
青森・[[三沢基地>三沢飛行場]]の[[F-16]]部隊、沖縄・[[嘉手納空軍基地]]の[[F-22]]((本土からのローテーション配備。))部隊などを含め、[[戦闘機]]約130機・[[偵察機]]10機などを擁する実戦部隊として構成されている。~

ソ連が崩壊するまではフィリピン以北、ハワイ以西の北方太平洋全域上空を作戦空域としていたが、崩壊後はアラスカからパナマ、カンボジア、インドネシアそして中東までの広範囲を作戦空域としており、司令部は[[横田基地]]に置かれている。~
青森の三沢基地の[[F-16]]部隊、沖縄の[[嘉手納空軍基地]]の[[F-15]]部隊などを含めると戦闘機約130機、偵察機10機など[[太平洋空軍>アメリカ太平洋軍]]の中でも[[戦闘機]]や戦術輸送機などをもつ実戦部隊として構成されている。
**概史 [#j4e17aee]
第5空軍は[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])中の1942年、オーストラリア・ブリスベンで編制された。~
当時は極東空軍(FEAF)の隷下にあり、[[P-39「エアラコブラ」>P-39]][[戦闘機]]や[[P-40「ウォホーク」>P-40]]戦闘機、[[B-25「ミッチェル」>B-25]][[爆撃機]]などを装備していた。~
オーストラリア北東部からパプアニューギニアにかけての区域を作戦空域として[[日本軍]]への反攻任務に従事し、戦争終結後は日本に駐留して占領任務についた。~
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1950年に勃発した[[朝鮮戦争]]では、主な兵力や司令部が朝鮮半島に移駐し、[[北朝鮮空軍>朝鮮人民軍]]との戦闘に従事。~
休戦後は引き続き日本に駐留し、[[航空自衛隊]]や韓国空軍と関係を深めている。

第5空軍は[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])中の1942年、オーストラリア、ブリスベンで極東空軍内に編制された。~
P-39戦闘機やP-40戦闘機、B-25爆撃機などを装備し、オーストラリア北東部からパプアニューギニアにかけて所在し、[[日本軍]]での反撃を開始し、戦争終結後は日本に駐留し、占領任務についた。
[[朝鮮戦争]]では、第5空軍の主な兵力や司令部は朝鮮半島に移され、[[北朝鮮軍>朝鮮人民軍]]と戦闘を行った。~
[[冷戦]]中やそれ以後は日本に駐留し、[[航空自衛隊]]や韓国空軍と関係を深めている。
**主要部隊 [#ad408f35]
-第18[[航空団]]:[[F-22]],[[KC-135]],[[E-3B/C>E-3]],[[HH-60>UH-60]],[[MC-130H/P>C-130]],[[WC-135>KC-135]]などを装備
-第35戦闘航空団:[[F-16C/D>F-16]]を装備
-第374空輸航空団:[[C-130E/H>C-130]]を装備
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