【大和】(やまと)

現在の日本において最も有名であり、最も人気が高いと思われる超ド級戦艦

1934年末に開始された新戦艦建造計画で「A-140」として計画を開始された。(二番艦武蔵?、三番艦信濃、そして計画では四番艦まであっが、信濃は後に建造中空母に改装、四番艦は起工するも船台を組んだところで廃棄された。) 当初はディーゼル機関?タービン?の併用が計画されていたが、大型艦用のディーゼル機関の開発が思うように進まず、タービン機関のみで建造が開始された。

「豊かな物量に物を言わせ数で押してくるアメリカ軍に対し、少数艦の圧倒的戦力で撃滅する」という思想が設計の根源にあり、そのためパナマ運河を通らなくてはならないと言う制約のため40センチ砲までしか搭載できないアメリカ戦艦に対し、46センチ砲を搭載した。当然パナマ運河の通行は不可能だが、現実問題そのようなことは考えるだけばからしかっただろう。その衝撃に耐えるため艦幅を広くし、さらに重要区画は対応防御の思想に基づいて自らの主砲にも耐えられる防御能力を有している。もっとも艦全体にそのような装甲を施すととんでもない重量になるため、極端な集中防御策が施されている。その軽量化の工夫は主砲塔にも見られ、主砲を日本戦艦初の三連装砲にしているのは軽量化のためといわれている。
速度も27ノットと当時の列強各国の新鋭戦艦と比べれば遅い部類に入るが、日本の戦艦の中では最速(当初巡洋戦艦として建造された金剛型は除く)となっている。

結果的に1941年の竣工と同時に基準排水量64000tと世界最大の戦艦になり、その後用兵思想が航空主兵主義に移り変わっために今日にいたるまで大和を退ける戦艦は現れていない。

内装はかなり豪華だったようで、水兵のねどころがハンモックでなくベッド、冷暖房完備、エレベーター完備であり、それに加えて柱島やトラック諸島から中々動かなかったことから将兵達に「大和ホテル」と揶揄されることもあった。

その存在は極秘とされ、圧倒的な火力と防御力から大きな期待がかけられていたが、前述のように大艦巨砲主義から航空主兵主義に用兵思想が変わったためにこれと言った活躍は無かった。

最後は「菊水作戦」に参加し、沖縄へ向かう途中延べ数百機に及ぶ米艦載機の猛攻を受け、左舷を中心に魚雷10本・爆弾5発の直撃を受け転覆し、弾薬庫に引火して大爆発をおこして沈没した。現在もその巨体を海の底に横たえていることが海底調査で明らかになり、その際、数回の誘爆をおこして船体が二つに破断、バラバラに沈没したことも明らかになった。

関連ページ:http://www2.ocn.ne.jp/~itoushin/yamato/

1937年11月4日 呉工廠にて起工
1940年8月8日 進水
1941年12月16日 竣工
1942年2月12日 連合艦隊旗艦となり、太平洋戦争に参加
5月29日〜 ミッドウェイ作戦に参加
1943年2月11日 連合艦隊旗艦を「武蔵」に移す
1944年6月15日〜 マリアナ沖海戦に参加
10月22日〜 レイテ沖海戦に参加
1945年4月6日〜 沖縄特攻作戦に参加
4月7日 九州南西沖にて米軍機の攻撃を受け沈没
8月31日 除籍

スペック(竣工時)
満載排水量:69,100t
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油焚×12基
燃料搭載量:重油6400t
全長:263.0m
全幅:38.9m
主機:艦本式オールギヤードタービン×8基、4軸推進
吃水:10.4m
出力:150,000hp
武装:45口径46cm3連装砲3基、60口径15.5cm3連装砲4基
40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm3連装機銃8基
13mm連装機銃2基、水偵7機搭載
(最終的には15.5cm3連装砲4基→2基、12.7cm連装高角砲6基→12基
25mm3連装機銃8基→29基、25mm単装機銃16基追加、のように改修されている。)
最大速力:27.0kt
航続距離:16ktで7200浬
乗員定数:約2,500名


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