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*&ruby(だいほんえいはっぴょう){【大本営発表】}; [#d5209f7f]
+[[太平洋戦争]]中の日本において、[[大本営]]が新聞やラジオ((当時、テレビは実用化されておらず、ラジオもNHKのAM第一放送しかなかった。なお、民間放送局のはじめは終戦後の1950年に開局した「新日本放送」(現在の毎日放送)である。))などの[[マスメディア>マスコミ]]を通じて行った公式戦況報告のこと。~
戦争初期の頃は各国の中でも群を抜く報道の正確さを誇っていた。~
しかしミッドウェイ海戦以降、戦況が苦しくなるにつれ、真実は戦略的及び戦術的大敗北であっても国民の[[士気]]を高めるために大勝利と発表するなど、きわめて真実性に欠けるものとなってしまった。~
これは、ミッドウェイ以降熟練[[パイロット]]の損耗が激しく、変わりに前線に出た錬度の低いパイロットたちが戦果確認を十分にできなかったためでもある。~
なおラジオで報道される場合、戦勝報告には「軍艦マーチ」、敗戦報告には「海ゆかば」が流された。~
 台湾沖航空戦
 「我部隊は10月12日以降連日連夜台湾及「ルソン」東方海面の敵機動部隊を猛攻し其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり」 
 「(一)我方の収めたる戦果綜合次の如し」 
 轟撃沈 航空母艦11隻 戦艦2隻 巡洋艦3隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦1隻 
 撃破 航空母艦8隻 戦艦2隻 巡洋艦4隻 巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13隻 
 「(二)我方の損害 飛行機未帰還312機」 
 「(註)本戦闘を台湾沖航空戦と呼稱す」 
 
 真実の損害
 日本:航空機312機 
 米国:航空機89機 重巡洋艦2隻大破
+1.から転じて、誇張された嘘の代名詞。
[[太平洋戦争]]中の日本において、[[大本営]]が新聞やラジオ((当時、テレビは実用化されておらず、ラジオもNHKのAM放送しかなかった。&br;  なお、日本における最初の民間放送局は終戦後の1951年に名古屋で開局した「中部日本放送(CBC)」及び大阪で開局した「新日本放送(NJB)」(現在の毎日放送(MBS))である。))などの[[マスメディア>マスコミ]]を通じて行った公式戦況報告のこと。~
第1号は1941年12月8日午前6時、対米英開戦([[真珠湾攻撃]]など)の第一報を報告したもの。~
これ以後、終戦までに846回行われた((実質的な最終回は1945年8月14日の第840回。&br;  それ以後は「大本営及帝国政府発表」の名で、[[連合国>連合国(第二次世界大戦)]]軍の対日占領に関する事項を8月26日までの間に6回発表した。))。~
~
発表の形態は、「報道」の形でNHKのアナウンサーが読み上げるものと、陸海軍の報道部長が読み上げるものの2種類があった。~
なお、ラジオで放送される場合のBGMは、戦勝報告の時は「陸軍分列行進曲(陸軍部:陸戦)」「軍艦マーチ(海軍部:海戦)」「敵は幾万(陸海軍共同)」、敗戦報告の時は「海ゆかば」であった。~
~
戦争初期の頃、大本営の行ったこの発表は各国の中でも群を抜く正確さを誇っていた。~
しかし、[[ミッドウェー海戦]]以降、戦況が苦しくなるにつれ、真実は(自軍が[[全滅]]するような)大敗北であっても国民の[[士気]]を高めるために「大勝利」と発表するなど、きわめて真実性に欠けるものとなってしまった((こうした経緯から、この言葉は現代において「''(内容を全く信用できない、虚飾的な)『公式』発表''」の代名詞として通用している。))。~
これは、[[ミッドウェー>ミッドウェー海戦]]以降[[パイロット>エビエーター]]や部隊指揮官の損耗が著しくなり、代わりに前線に出た錬度の低い者たちが戦果確認を十分にできなかったためでもある。~
>しかし、実際問題として、戦場での「正確な」戦果確認は(当時と比べて''諸技術が圧倒的に進化した2020年代の現代においても'')非常に困難である((たとえば、[[空爆]]で精密誘導兵器を当てて「破壊した」と判定された目標が、爾後の検証で「[[囮>デコイ]]であった」と判明したりするケースはままある。))。~
たとえば[[艦艇]]への攻撃に際し、至近弾によって目標の側に上がった水柱を「敵艦に[[魚雷]]命中」と好意的に報じた、などの例は洋の東西問わず存在するし、[[航空機]]の[[撃墜]]を確認するにしても、実際に空中で爆散(あるいは地面に[[墜落]])するまで見届けている余裕はほぼないといえる。

また、当の大本営自身も戦況を正確に把握しておらず((少なくとも海軍の被害については、軍令部から参謀本部に迅速に伝えられていた。&br;  しかし陸軍中央では「防諜」を理由に、現場の実戦部隊にさえそうした情報を伝えなかったという。))、混乱する現場からの報告をそのまま流したために現実と乖離した発表となったケースも多く、部隊指揮官がそれを信じてしばしば無謀な戦闘に突入してしまい、更に悲惨な結果を招くこともあったという。~
~
なお、国民への戦果報道そのものは(大本営発表とは別に)現地に派遣された「報道班員」によるものが盛んに行われており、その中では「最前線における補給難」や「兵士の飢餓」「疫病の蔓延」「[[連合国>連合国(第二次世界大戦)]]軍の圧倒的な戦力」といった実情はおおむね伝えられていた。

**具体的な例 [#kdbc5c00]
-第1回(1941年12月8日午前6時・対米英開戦第一報)~
 大本営陸海軍部 十二月八日午前六時発表
 帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり

-第192回(1942年2月15日午後5時10分・パレンバン[[空挺作戦>空挺降下]]成功の一報)~
 大本営陸軍部 二月十五日午後五時十分発表
 強力なる帝国陸軍落下傘部隊は、二月十四日午前十一時二十六分、蘭印最大の油田地帯たる、スマトラ島パレンバンに対する奇襲降下に成功し、
 敵を撃破して、飛行場その他の要地を占領確保するとともに、更に戦果を拡張中なり
 陸軍航空部隊は本作戦に密接に協力するとともに、すでにその一部は本十五日午前同地飛行場に躍進せり

-1942年6月10日・[[ミッドウェー海戦]]における発表((この戦闘における彼我の実際の損害は、日本が[[航空母艦]]4隻・[[重巡洋艦]]1隻を喪失したのに対し、アメリカは航空母艦1隻・[[駆逐艦]]1隻の喪失にとどまった。))~
 東太平洋全海域に作戦中の帝国海軍部隊は六月四日アリューシャン列島の敵拠点ダッチハーバー並びに同列島一帯を急襲し四日、五日、両日に亙り反復之を攻撃せり、
 一方同五日洋心の敵根拠地ミッドウェーに対し猛烈なる強襲を敢行すると共に、同方面に増援中の米国艦隊を捕捉猛攻を加え敵海上及航空兵力並に重要軍事施設に甚大なる損害を与えたり、
 更に同七日以後陸軍部隊と緊密なる協同の下にアリューシャン列島の諸要点を攻略し目下尚作戦続行中なり、
 現在までに判明せる戦果左のごとし
 一、 ミッドウェー方面
 (イ) 米航空母艦エンタープライズ型一隻及ホーネット型一隻撃沈
 (ロ) 彼我上空に於いて撃沈せる飛行機約百二十機
 (ハ) 重要軍事施設爆破
 二、 ダッチハーバー方面
 (イ) 撃沈破せる飛行機十四機
 (ロ) 大型輸送船一隻撃沈
 (ハ) 重油槽群二ケ所、大格納庫一棟爆破炎上
 三、 本作戦における我が方損害
 (イ) 航空母艦一隻喪失、同一隻大破、巡洋艦一隻大破
 (ロ) 未帰還飛行機三十五機

-1944年10月・台湾沖航空戦における発表((この戦闘における日本軍の実際の戦果は、[[重巡洋艦]]2隻大破・航空機89機撃墜にとどまった。))~
 我部隊は十月十二日以降連日連夜台湾及「ルソン」東方海面の敵機動部隊を猛攻し其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり
 (一)我方の収めたる戦果綜合次の如し
 轟撃沈 航空母艦十一隻 戦艦二隻 巡洋艦三隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦一隻
 撃破 航空母艦八隻 戦艦二隻 巡洋艦四隻 巡洋艦若は駆逐艦一隻 艦種不詳十三隻
 撃墜 百十二機(基地における撃墜を含めず)
 (二)我方の損害 飛行機未帰還三百十二機
 (註)本戦闘を台湾沖航空戦と呼稱す

-第840回(1945年8月14日・実質的な最終回)
 我航空部隊は八月十三日午後鹿島灘東方二十五海里において航空母艦四隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し航空母艦および巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり

-最終回((ただし、明確に「最終回」であるとは報じられていない。))(1945年8月26日午前11時・通算846回目)
 大本営及帝国政府 八月二十六日午前十一時発表
 本八月二十六日以降実施予定の連合国軍隊第一次進駐日程中連合国艦隊相模湾入港以外は夫々四十八時間延期せられたり


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