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*&ruby(だいほんえいはっぴょう){【大本営発表】}; [#d5209f7f]
[[太平洋戦争]]中の日本において、[[大本営]]が新聞やラジオ((当時、テレビは実用化されておらず、ラジオもNHKのAM放送しかなかった。&br;  なお、日本における最初の民間放送局は終戦後の1951年に開局した「中部日本放送(CBC)」及び「新日本放送」(現在の毎日放送)である。))などの[[マスメディア>マスコミ]]を通じて行った公式戦況報告のこと。~
第1号は1941年12月8日午前6時、対米英開戦([[真珠湾攻撃]]など)の第一報を報告したもの。~
これ以後、終戦までに840回行われた。((実質的な最終回は1945年8月14日。&br;  それ以後は「大本営及帝国政府発表」の名で、[[連合国]]軍の対日占領に関する事項を8月26日までの間に6回発表した。))~
これ以後、終戦までに846回行われた。((実質的な最終回は1945年8月14日の第840回。&br;  それ以後は「大本営及帝国政府発表」の名で、[[連合国]]軍の対日占領に関する事項を8月26日までの間に6回発表した。))~
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戦争初期の頃は各国の中でも群を抜く報道の正確さを誇っていた。~
しかしミッドウェイ海戦以降、戦況が苦しくなるにつれ、真実は戦略的及び戦術的大敗北であっても国民の[[士気]]を高めるために大勝利と発表するなど、きわめて真実性に欠けるものとなってしまった。((こうした経緯から、この言葉は現代において「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞として通用している。))~
発表の形態は、「報道」の形でNHKのアナウンサーが読み上げるものと、陸海軍の報道部長が読み上げるものの2種類があった。~
なお、ラジオで放送される場合のBGMは、戦勝報告の時は「陸軍分列行進曲(陸軍部:陸戦)」「軍艦マーチ(海軍部:海戦)」「敵は幾万(陸海軍共同)」、敗戦報告の時は「海ゆかば」であった。~
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戦争初期の頃、大本営の行ったこの発表は各国の中でも群を抜く正確さを誇っていた。~
しかし、ミッドウェイ海戦以降、戦況が苦しくなるにつれ、真実は戦略的及び戦術的大敗北であっても国民の[[士気]]を高めるために大勝利と発表するなど、きわめて真実性に欠けるものとなってしまった。((こうした経緯から、この言葉は現代において「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞として通用している。))~
これは、ミッドウェイ以降[[パイロット]]や部隊指揮官の損耗が著しくなり、代わりに前線に出た錬度の低い者たちが戦果確認を十分にできなかったためでもある。~
また、当の大本営自身も戦況を正確に把握しておらず((少なくとも海軍の被害については、軍令部から参謀本部に迅速に伝えられていた。&br;  しかし陸軍中央では「防諜」を理由に、現場の実戦部隊にさえそうした情報を伝えなかったという。))、混乱する現場からの報告をそのまま流したために現実と乖離した発表となったケースも多く、部隊指揮官がそれを信じてしばしば無謀な戦闘に突入してしまい、更に悲惨な結果を招くこともあったという。~
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なお、ラジオで放送される場合、戦勝報告の時のBGMには「陸軍分列行進曲(陸軍部:陸戦)」「軍艦マーチ(海軍部:海戦)」「敵は幾万(陸海軍共同)」、敗戦報告の時には「海ゆかば」が流された。~
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**具体的な例 [#kdbc5c00]
一例として、1944年10月の台湾沖航空戦における発表を次にあげる。~
-第1回(1941年12月8日午前6時・対米英開戦第一報)~
 大本営陸海軍部 十二月八日午前六時発表
 帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり

>「我部隊は10月12日以降連日連夜台湾及「ルソン」東方海面の敵[[機動部隊]]を猛攻し其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり」 ~
「(一)我方の収めたる戦果綜合次の如し」~
轟撃沈 [[航空母艦]]11隻 [[戦艦]]2隻 [[巡洋艦]]3隻 巡洋艦若(もしく)は[[駆逐艦]]1隻~
撃破 航空母艦8隻 戦艦2隻 巡洋艦4隻 巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13隻~
「(二)我方の損害 飛行機未帰還312機」~
「(註)本戦闘を台湾沖航空戦と呼稱す」~
-1944年10月・台湾沖航空戦における発表((この戦闘における彼我の実際の損害は、日本が航空機312機を喪失したのに対し、アメリカは重巡洋艦2隻大破・航空機89機の損失にとどまった。))~
 我部隊は十月十二日以降連日連夜台湾及「ルソン」東方海面の敵機動部隊を猛攻し其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり
 (一)我方の収めたる戦果綜合次の如し
 轟撃沈 航空母艦十一隻 戦艦二隻 巡洋艦三隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦一隻
 撃破 航空母艦八隻 戦艦二隻 巡洋艦四隻 巡洋艦若は駆逐艦一隻 艦種不詳十三隻
 (二)我方の損害 飛行機未帰還三百十二機
 (註)本戦闘を台湾沖航空戦と呼稱す

この戦闘における彼我の実際の損害はこうであった。~
日本:航空機312機損失~
米国:航空機89機損失・重巡洋艦2隻大破
-最終回(1945年8月26日午前11時・通算846回目)
 大本営及帝国政府 八月二十六日午前十一時発表
 本八月二十六日以降実施予定の連合国軍隊第一次進駐日程中連合国艦隊相模湾入港以外は夫々四十八時間延期せられたり


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