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【大本営発表】 †
太平洋戦争中の日本において、大本営が新聞やラジオ*1などのマスメディアを通じて行った公式戦況報告のこと。
第1号は1941年12月8日午前6時、対米英開戦(真珠湾攻撃など)の第一報を報告したもの。
これ以後、終戦までに840回行われた。*2
戦争初期の頃は各国の中でも群を抜く報道の正確さを誇っていた。
しかしミッドウェイ海戦以降、戦況が苦しくなるにつれ、真実は戦略的及び戦術的大敗北であっても国民の士気を高めるために大勝利と発表するなど、きわめて真実性に欠けるものとなってしまった。*3
これは、ミッドウェイ以降パイロットや部隊指揮官の損耗が著しくなり、代わりに前線に出た錬度の低い者たちが戦果確認を十分にできなかったためでもある。
また、当の大本営自身も戦況を正確に把握しておらず*4、混乱する現場からの報告をそのまま流したために現実と乖離した発表となったケースも多く、部隊指揮官がそれを信じてしばしば無謀な戦闘に突入してしまい、更に悲惨な結果を招くこともあったという。
なお、ラジオで放送される場合、戦勝報告の時のBGMには「陸軍分列行進曲(陸軍部:陸戦)」「軍艦マーチ(海軍部:海戦)」「敵は幾万(陸海軍共同)」、敗戦報告の時には「海ゆかば」が流された。
具体的な例 †
一例として、1944年10月の台湾沖航空戦における発表を次にあげる。
「我部隊は10月12日以降連日連夜台湾及「ルソン」東方海面の敵機動部隊を猛攻し其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり」
「(一)我方の収めたる戦果綜合次の如し」
轟撃沈 航空母艦11隻 戦艦2隻 巡洋艦3隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦1隻
撃破 航空母艦8隻 戦艦2隻 巡洋艦4隻 巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13隻
「(二)我方の損害 飛行機未帰還312機」
「(註)本戦闘を台湾沖航空戦と呼稱す」
この戦闘における彼我の実際の損害はこうであった。
日本:航空機312機損失
米国:航空機89機損失・重巡洋艦2隻大破
*1 当時、テレビは実用化されておらず、ラジオもNHKのAM放送しかなかった。
なお、日本における最初の民間放送局は終戦後の1951年に開局した「中部日本放送(CBC)」及び「新日本放送」(現在の毎日放送)である。
*2 実質的な最終回は1945年8月14日。
それ以後は「大本営及帝国政府発表」の名で、連合国軍の対日占領に関する事項を8月26日までの間に6回発表した。
*3 こうした経緯から、この言葉は現代において「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞として通用している。
*4 少なくとも海軍の被害については、軍令部から参謀本部に迅速に伝えられていた。
しかし陸軍中央では「防諜」を理由に、現場の実戦部隊にさえそうした情報を伝えなかったという。