【大分空港】(おおいたくうこう)

大分県北東部・国東半島沿いの別府湾沿岸*1に位置する空港

宮崎空港と同様、第二次大戦前に旧海軍航空隊の飛行場として、現在の大分市内に開設された。
終戦後に第二種空港(当時)として同地に再開されたが、滑走路の両端を川で挟まれていて延伸が困難だったことや周辺の市街地化、また、大分市の「新産業都市」指定の条件として移転が求められたため、1971年に現在地へ移転。*2
このため、一時期は市内へのアクセスとしてホバークラフトも就航していた(詳細は後述)。

また、かつては日本エアシステムの乗員訓練所があったこともあり、JALグループをはじめとする各社によるタッチ・アンド・ゴーや、宮崎空港に併設された航空大学校による飛行訓練がここで行われている。

種別:拠点空港(国管理・旧第二種
滑走路:2,999m×46m(01/19)
3レターコード:OIT
4レターコード:RJFO

空港連絡ホバークラフト

前述のように、本空港の特徴の一つだったのが「空港連絡ホバークラフト」だった。

本空港は1971年に現在地へ移転したが、当時、道路網はまだ充分ではなく、市内から陸路で向かうには別府湾に沿って大きく迂回せねばならなかった。
そこで、別府湾を横断することで時間を短縮するため、「大分ホーバーフェリー」社がホバークラフトを就航させた。

空港敷地と大分市内(旧空港跡地の一部)に専用の乗り場を設け、空港〜大分市内を約30分で結んでいた。

この路線は長らく空港アクセスや観光の目玉として親しまれ、特に、1988年にJR四国の宇高航路急行便が廃止されてからは、日本唯一のホバークラフト商業運航路線となったことで「体験乗船」する旅客も多かった。
しかし、21世紀に入ってから、道路網の整備で大分市内からの陸上アクセスが便利になったことや燃料費高騰などによる経費拡大、空港自体の利用客減少などによって赤字が累積。
また、ホバークラフトを建造した造船会社が交換部品の供給を打ち切る方針を固めたことで経営の継続が困難になり、2009年10月、大分ホーバーフェリーは会社更生法の適用を申請、事業を休止してしまった*3
そしてこれにより、日本国内におけるホバークラフトの商業運航路線はすべて消滅となった。


*1 敷地は行政上、国東市に属している。
*2 現在、旧空港の跡地は「大洲総合運動公園」および「新大分球場」となっている。
*3 なお、現在でも法人格は存続している。

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