【大日本航空】(だいにっぽんこうくう)

概要
創設1938年
解散1945年
ハブ空港羽田飛行場
焦点空港雁ノ巣飛行場(福岡)*1、京城、台北など
マイレージサービス-
保有機材数n/a
同盟-
航空会社コードIATA:なし
ICAO:なし*2
コールサインn/a
本拠地東京府(1943年からは東京都)


第二次世界大戦前に存在した日本の航空会社。
日本国内および中国大陸に路線を持っていた「日本航空輸送」と「国際航空」の合併により発足し、日本政府の出資を受けて半官半民の国策会社となったが、第二次世界大戦の終結に伴うGHQの占領政策により解散させられた。

当時、日本航空輸送は日本国内および中国大陸に路線網を展開し、北東アジアにおける航空網の中心的存在であった。
1937年に日華事変が勃発すると、満州国を含む中国大陸と日本との航空連絡が重要となり、民間航空は戦時体制に再編されることになった。
そこで、日本航空輸送は会社の解散と新会社への合流を株主総会で決議し、1938年11月、国際航空と合併して大日本航空が設立されることになった。

これに合わせて、日本国内のローカル線を運航していた「日本航空輸送研究所」「日本海航空」「東京航空」及び「安藤飛行研究所」は航空輸送を停止し、運航していた路線は大日本航空に引き継がれた。

1941年に大東亜戦争が勃発すると、大日本航空の機材乗員の多くは陸軍航空隊の「特設第13輸送飛行隊」に編入されて南方への輸送を担ったが、1945年の終戦に伴い、進駐してきた連合国GHQ)の指令により「閉鎖機関」に指定され、解散となった。

これにより、日本人の航空に関する一切の活動への関与は1952年の日本航空による就航*3まで禁じられることになった*4

主な就航地

日本国内札幌、東京、横浜、大阪、米子、高松、松山、徳島、高知、福岡、別府、那覇
台湾台北、高雄、台南
朝鮮京城、平壌、蔚山
関東州大連
南洋群島サイパン、トラック、パラオ、ポナペ、ヤルート
海外新京(満州国)
奉天(満州国)
南京(中華民国)
上海(中華民国)
青島(中華民国)
北京(中華民国)
バンコク(タイ王国)
マニラ(アメリカ領フィリピン)
ハノイ(フランス領インドシナ)
サイゴン(フランス領インドシナ)
ジャカルタ(オランダ領東インド)
ディリ(ポルトガル領ティモール)

主な運航機材


*1 当時の航空機の性能から、国際路線の運航拠点には福岡の方が有利であった。
*2 営業当時、国際民間航空条約はまだ締結されていなかった。
*3 ただし、当初はノースウエスト航空から乗員込みでリースする形での運航だった。
*4 この措置は徹底したもので、大学の授業からも「航空工学」の科目が削除されるほどであった。
*5 九七式輸送機の民間転用型。
*6 一〇〇式輸送機の民間転用型。
*7 九七式重爆撃機の武装撤去型。貨物機として使用。

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