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*&ruby(だいかんこうくうぜろぜろななびんげきついじけん){【大韓航空007便撃墜事件】}; [#t40df327]
1983年9月1日、宗谷海峡上空で大韓民国(韓国)の[[フラッグキャリア]]・大韓航空の[[B747-230>B747]][[旅客機]](([[登録記号>シリアルナンバー]]HL7442。&br;  元は、1972年にコンドル航空(ルフトハンザドイツ航空(当時)の子会社。現在はトーマス・クック・グループ傘下)向け(ドイツでの登録記号はD-ABYH)として製造され、1979年に大韓航空に売却された。))が[[ソ連防空軍>ソ連軍]]の[[戦闘機]]によって[[撃墜]]された事件。~
1983年9月1日、大韓民国(韓国)の[[フラッグキャリア]]・大韓航空の[[旅客機]]がサハリン(樺太)沖上空で[[ソ連防空軍>ソ連軍]]の[[戦闘機]]によって[[撃墜]]された事件。~
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被害機は当日、ニューヨーク発・アンカレッジ経由ソウル行きの007便として飛行していた。~
しかし出発の際、乗員が[[慣性航法装置]]の設定を誤ったため((この他にも「起動手続きのミス」「飛行中の操作ミス」といった説もあるが、証言できる者が全員死亡してしまったため真相の究明は不可能となっている。))、所定の航路を逸脱してソ連[[領空]]へ侵入してしまった。~
これを察知したソ連当局は、同機を[[アメリカ空軍]]が[[威力偵察]]のために飛行させた[[偵察機]]と判断し、排除すべく防空軍へ[[対領空侵犯措置]]([[スクランブル]])の実施を発令した。~
被害機は[[B747-230>B747]]((元・コンドル航空([[ルフトハンザドイツ航空]]の子会社)所属機。当時の機体記号はD-ABYH。))[[旅客機]]、[[登録記号>機体記号]]HL7442。~
事件発生当日にニューヨーク発・アンカレッジ経由ソウル行きの007便として飛行していたが、航路を逸脱してソ連[[領空]]へ侵入。~
>証言可能な生存者がいないため、航路を逸脱した原因は不明。~
[[慣性航法装置]]の故障、ないし[[パイロット>エビエーター]]の人為的ミスであったと推定されている。

ソ連当局は同機を[[アメリカ空軍]]の[[偵察機]]と判断し、[[対領空侵犯措置]]を発令。~
[[Su-7]]/[[Su-15]]/[[MiG-23]]など[[戦闘機]]が[[スクランブル]]発進し、ほどなく領空侵犯機を[[目視内射程]]に捕捉。~
[[機関砲]]による警告射撃が行われたが、反応がなかった((当該機の[[機関砲]]に[[曳光弾]]が装填されていなかった(なお、当時部隊には曳光弾の備蓄がなかったという)ため、旅客機[[パイロット>エビエーター]]が夜間の銃撃に気付かなかったとしても無理はない。))ため[[空対空ミサイル]]が発射され、被害機の尾翼に命中。~
被害機は操縦不能状態に陥り、海上に[[墜落]]して爆発四散。乗客240名・乗員23名・[[デッドヘッド]]6名の全員が死亡した。~
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[[スクランブル]]出動した[[戦闘機]]([[Su-7]]/[[Su-15]]/[[MiG-23]])の[[パイロット]]は「領空侵犯した」同機に追いつき視認するも、深夜であったため詳細の判断ができなかった。~
それでも辛うじて[[旅客機]]特有の特徴([[航法灯]]と[[衝突防止灯]]が点灯している事など)をいくつか見て取ったものの、欺瞞工作を施された[[偵察機]]であると判断し、Su-15は無警告((直前に、[[MiG-23]][[戦闘機]]が[[機関砲]]による警告射撃を行ったものの、光跡の見える[[曳光弾]]が積まれておらず、旅客機からは射撃が見えなかった。))で[[空対空ミサイル]]により攻撃。~
Su-15は[[R-98>AA-3]][[AAM>空対空ミサイル]]2発([[赤外線誘導]]型と[[レーダー誘導]]型)を発射し、赤外線誘導型が007便の尾翼に命中。~
機体は油圧系統の4分の3を損傷((ICAOの最終報告書による推測。))し、操縦不能状態で海上に[[墜落]]して爆散、乗客240名・乗員29名((うち6名はアンカレッジから[[デッドヘッド]]として便乗していた非番の社員だった。))全員が死亡した。~
事件発覚後、当該機が[[旅客機]]であったと主張するアメリカと、[[スパイ]]と断じるソ連との宣伝戦めいた様相を呈した。~
最終的には9月6日にソ連側も被害機が民間[[旅客機]]であった事を認めたが、領空侵犯機の撃墜は正当であるとし、謝罪や賠償には応じていない。~

>なお、大韓民国は当時ソ連と国交がなく、[[国連>国際連合]]にも加入していなかったためその主張を黙殺された。

この事件を契機に[[国際民間航空条約]](シカゴ条約)が改定され、領空侵犯した民間機の[[撃墜]]が明示的に禁じられた。~
事件以前から[[被撃墜>撃墜]]のリスクは航空運輸業における重大な懸念であったが、一方で[[偵察機]]による領空侵犯も当時の現実である。~
[[冷戦]]下における航空運輸の自由化は防諜上のリスクと表裏一体であり、それは社会統制を必要とするソ連には受け入れがたいものだった。~
一連の事件によって民間航空の自由が保護される結果になった事は、[[冷戦]]末期におけるソ連の退潮を示すものでもある。~
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この事件を契機に[[国際民間航空条約]](シカゴ条約)が改定され、領空侵犯した民間機の[[撃墜]]が明示的に禁じられた((事件当時、[[国際民間航空機関]](ICAO)理事会では「民間機の[[要撃]]は避けることが望ましく、『最後の手段』としてのみ用いること」「いかなる場合も武器の使用は慎むこと」を勧告していた。))。~
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また、同様の事態を防ぐため、軍用技術であった[[GPS>全地球測位装置]]が民間にも開放される事となった。


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