【戦闘機不要論】(せんとうきふようろん)

何らかの技術革新や新兵器の登場という軍事革命により、従来の戦闘機は不要になるだろうという考え方。

第二次世界大戦前の戦闘機不要論

1930年代、迎撃不可能な爆撃機を開発できれば戦闘機の存在意義は失われる、と論ずるものがあった。
当時、まだカウンターエアの戦術は未発達で、爆撃機の迎撃は極めて困難であったためである。
戦術論としては現代でいうステルスではなく、高速のヒットアンドアウェイが想定されていた。
また、爆撃機迎撃戦闘機撃墜する能力を与える方法論も研究されていた。

しかしレーダーと無線による防空網が整備されると爆撃機の優勢は失われ、この思想は立ち消えた。
超音速戦闘機ミサイルの発達した現代では、迎撃不能な爆撃機は存在し得ない*1

ただし、この時期の航空思想がマルチロールファイターの登場を予言していたと見る向きもある。
迎撃戦闘機撃墜できる爆撃機*2の登場によって純粋な意味での戦闘機の存在意義が失われたのは事実である。

関連:九六式陸上攻撃機

冷戦初期のミサイル万能論

1940年代後半〜1960年代、ミサイルの実用化により新たな戦闘機不要論が台頭した。
正面戦力としての航空機ミサイルに置換する事を目指す思想、「ミサイル万能論」である。

爆撃機弾道ミサイル戦闘機地対空ミサイルに置換する事が想定されていた。
実際、地対空ミサイルの開発・配備に伴っていくつかの試作戦闘機が計画を凍結されている。

しかし、その後冷戦が本格していくにつれ、ミサイル万能論は破綻していった。
弾道ミサイル相互確証破壊によって使用が事実上不可能になり、攻撃機が再び必要とされるようになった。
地対空ミサイルも著しく確実性に欠け、防性対航空作戦?には空対空ミサイルを搭載した戦闘機が不可欠である。

21世紀初頭の無人機台頭論~

コンピュータによる自律制御技術の飛躍的進歩に伴い、現代でも新たな戦闘機不要論が生まれている。
将来的には無人機が航空戦の中心となり、パイロットは前線から姿を消す、という未来予想である。

航空士は機体のコックピットではなく、C4Iの管制施設に操縦席を置く事になると考えられている。
あるいは、機体操縦は全てアビオニクスが自律的に行い、人間は戦術を指示するだけになるかもしれない。

とはいえ、この思想も未だ机上の空論の域を出ていない。
現状の無人機は有人戦闘機との直接対決に耐えうる性能を有していないためである*3

関連:MQ-1


*1 ステルス爆撃機であれば可能ではないか、衛星軌道上や月面上からであれば一方的な爆撃が可能ではないか、など、実現性に目をつぶれば技術革新の可能性はまだ残されているが。
*2 正確に表現すれば「爆撃に転用できる戦闘機」だが、この辺りは単に解釈と分類の問題だろう。
*3 イラク戦争では、人類史上初めて有人機と無人機との空中戦が展開されたが、有人機の勝利に終わっている。

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