【戦争神経症】(せんそうしんけいしょう)

戦場において、独特の高ストレス環境に被曝したことを原因として発症する心因性疾患。
「シェルショック」*1「戦場ノイローゼ」「戦闘疲労」などとも言う。

医学における正式名称は「心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder:PTSD)」。
ただし、戦場における兵士のPTSDには(独特の要件が多い事から)別個の病名を割り当てるべきという主張もある。

短期的影響

耐性が平均水準を大きく下回る者も多く、ほとんど影響を受けない者も希にいるが、基本的に発症は時間の問題である。
発症を防ぐ根本的な対処法は「長期間に渡って前線に配置し続けない事」「定期的に後送して、安全な場所で休暇を与える事」以外にない。
第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦?における連合国軍の統計によれば、一人の兵士が戦闘任務に耐えられる期間は20〜50日程度とされる。

戦闘開始から最初の10日間ほどは、日常から離れて戦闘環境に適応する過渡期である。
歴戦の古参兵や、戦場より訓練の方が過酷な特殊部隊などの例外を除けば、この期間にある兵士に任務遂行能力は期待できない。

最初の10日以内に後送された一部の例外を除けば、適応が完了して最大限の士気を維持できる期間は20〜30日ほど続く。
この期間を過ぎると注意力・判断力・感情表現・意思疎通などに支障をきたし始め、その後10日前後で士気が完全に崩壊する。
最終的には全く無気力な状態になり、機敏な機動・複雑な作戦行動・敵襲への警戒などが事実上不可能になる。

具体的には以下のような症状が徐々に、あるいは突如として発症していく。

  • 強い恐怖・無力感・不安感と、それに伴う不眠症・集中困難
  • 怒りの爆発や混乱、過度の警戒心や驚愕反応
  • 感情の萎縮、希望や関心の喪失
  • 「ショック」に関係する記憶の無意識的な忘却
  • 苦痛に満ちた記憶に関連する悪夢やフラッシュバック
  • アルコール・薬物・性交渉などに対する重度の嗜癖行動

長期的後遺症

前述の短期的影響はおおむね一時的な精神の失調であり、安静な休暇を取る事で回復する。
しかし、一部にはこれらの影響から回復せず、長きにわたって精神疾患として定着する場合がある。
また、いったん回復した後、6ヶ月以上経ってから突如として「再発」する事例もある。

娯楽作品では「戦場体験が原因で快楽殺人に耽溺するようになった」などという極端な形で描かれる場合もある。
「戦場帰りの猟奇殺人鬼」は少数ながら確かに実在するのだが、極めて希少かつデリケートな事案であり、実像はよくわかっていない。
ただし、上記の症状が長期にわたって回復せず悪化し続けた場合、暴力的な犯罪に繋がる危険性があるのは確かである。

薬物療法においては一部の抗うつ薬の効能が認められるが、長期に渡って再発を防ぐ効果は期待できない。
完治に至る(完治し得るとすればだが)唯一の方法は、認知行動療法を伴う本人の自助的・自発的な回復である。

ただし、重篤な症例が医学的・心理学的・あるいは宗教的な補助を受けずに自然に回復する事は基本的に期待できない。
また、極度の重症においては脳機能に永続的なダメージを負い、人間としての基本的行動力を一生取り戻せなかった事例もある。

歴史上での扱い

紛争そのものは人類史において普遍的な現象であったが、この精神疾患の存在は近代までほとんど知られていなかった。
なぜ知られていなかったかという点について学術上の決定的な結論はないが、仮説としては三つほど挙げる事ができる。

  1. 中世までの「戦場」は、特筆に値するほど恐ろしい状況ではなかった。
    榴弾爆薬が人体を爆音とともに引き裂くようになる以前、戦争は多数の人間が集まって大騒ぎする一種の祭りであった。
    兵士達も義務ではなく略奪などの臨時収入目当てで戦う側面が強く、生還者のほとんどはいくらかの「収穫」を体験して満足感を得た。
    また、糧食の問題は今よりずっと深刻であり、戦闘状況が10日以上続くなどという事は要塞攻略戦以外ではまずなかった。
    籠城や略奪などで局地的な極限状況は頻発したが、極限状態から生還できる者は極めて希であり、問題にする必要はあまりなかった。

  2. 中世までの人類社会は、精神病者の言動について研究できるほど余裕に満ちてはいなかった。
    心の病を治療する目処などなかった時代、「物狂い」は近隣社会から放逐される事を避けられなかった。
    権力層でも錯乱状態で権力を振るう事がないよう、暗殺されるか寺院や隠居に押し込められるのが通例だった*2

  3. 近代以前、人類にとって死の恐怖は日常であった。
    もちろん戦場に出た人間のいくらかは死ぬのだが、日常の野良仕事であれば死なないというものでもない。
    疫病や天災、不十分な衛生、厳しい食糧事情など、およそ人の日常において死因には事欠かない。
    人が死ぬのは避けて通れない日常の一部であり、兵士のほとんどは幼少期から死の恐怖や隣人との死別を経験していた。
    また、特権的な戦士階級は幼少期から厳しい教練を受け、比較的高い耐性を得た上で戦場に赴く事ができた。

何にせよ、兵士が負った心の傷が「問題」となったのは、徴兵制を前提とする国家総力戦態勢が確立されて以降の事である。
しかしそれも「臆病者は戦場で恐怖のあまり狂う事がある」といった程度の認識であって、それが普遍的な病理であるとは認識されなかった。

また、この時代の患者は
敵前逃亡や命令不服従、スパイ行為への加担を疑われて軍法会議の被告人にさせられる*3
「他の兵士や国民の士気を落とさぬよう、廃兵院、あるいはこれに類似する施設へ強制隔離」
という対応をとられることもあった。

戦争神経症が人間普遍の病理であって予防・治療が重要であるという認識に辿り着くのは、20世紀後半になってからの事であり、本格的な研究・治療体制が構築され始めたのは、冷戦時代のベトナムやアフガニスタンの戦訓によるものであった。

これらの戦争では、過酷な戦場から帰還した兵士達の間で多数の発症例が確認され、また、同時期に「傷病除隊」として退役した兵士による凶悪犯罪なども多発。
軍の士気に対する甚大な悪影響を及ぼすのみならず、クーデター等の政権崩壊にさえ繋がりかねない深刻な社会問題に発展した*4
こうした問題に対する予防措置として、軍隊には精神医学上の問題に対処する専門の軍医が必要とされるようになった。


*1 第一次世界大戦時、塹壕戦において有効な攻撃手段だった迫撃砲の砲弾の爆発に、極度に怯える兵士が続出した事に由来すると言われる。
*2 実際、僧伽や修道院での修行生活は「認知行動療法」として一定の有効性が期待できたようである。
  ……ただひたすら毎日を嘆き暮らして人生を終えた者も少なくなかったようだが。

*3 略式の処刑をその場で科せられることもあった。
*4 きちんとしたケアがなされないまま一般社会へ帰された患者の存在がマスコミの報道で明らかになることで、野党の政治家や反戦運動の活動家に政権批判の格好の材料を与えうる。

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