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*&ruby(せんそうしんけいしょう){【戦争神経症】}; [#r9294664]
戦場において、苛酷な環境に晒された兵士が強度のストレスから精神に深刻なダメージを受け、それによってさまざまな障害を引き起こす心の病気。~
「シェル・ショック」「戦場ノイローゼ」などという別名がある。~
医学的にはかつて「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と呼ばれる症状の一種に分けられていたが、近年では研究が進み、一般的なPTSDとは別個の症状とされている。~
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近代に入って、「[[列強]]」と呼ばれた国々を中心に「[[国家総力戦]]」思想が広まり、[[徴兵制]]が採用されてより多くの国民が戦争に関わるようになったが、科学技術の進歩によって兵器の破壊力が増大したこともあり、最前線の戦場では、平和な市民生活では到底味わうことのない強度のストレスに常時晒されることになる。~
戦争においてこの病気が知られるきっかけになったのは、やはり強いストレスに晒された[[塹壕戦]]だった((当時、[[塹壕]]に対して有効な攻撃手段であった[[迫撃砲]]の砲弾の爆発音に過敏に反応する兵士がいたことから、「シェル(砲弾)・ショック」の語源にもなった。))。~
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しかし、これらによって兵士が受ける「心の傷」については、[[第二次世界大戦]]の頃まではどこの国でも真剣に取り上げられることはなかった。~
当時、戦場でこの症状に罹患した患者は、
-「臆病者」「いくさ度胸がない」などとして上官や[[戦友>バディ]]によって強制的に戦闘参加
-「[[敵前逃亡]]」や「命令不服従」と看做されて[[軍法会議]]で処罰(実質的には、その場で直ちに[[略式の処刑]]を科されることが多かった)
-(兵士や国民の[[士気]]を落とさないために)[[廃兵院]]へ終身隔離
戦場における独特の強度ストレス環境を原因とする心因性疾患。~
「シェルショック」「戦場ノイローゼ」「戦闘疲労」などとも言う。~

などという対応が取られることが多かった。~
現在では「戦傷者」として扱われることが多いが、症状の度合によっては、脳機能に重大かつ不可逆的なダメージを及ぼすため、社会復帰が極めて困難になってしまうケースもあるといわれている((脳機能の損傷により「一生、ひとりで食事を摂ることができなくなる」患者もいるという。))。~
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1960年代〜1970年代のアメリカや1980年代のソ連((前者では[[ベトナム戦争]]、後者ではアフガニスタン侵攻戦にそれぞれ従軍した帰還兵が発症している。))で多数の発症例が報告され、(凶悪犯罪やドラッグ・アルコール中毒などの)深刻な社会問題を引き起こした。~
こうした経緯から、現在では戦局を左右する重大な要素のひとつ((将兵の[[士気]]への影響もさることながら、(きちんとしたケアがなされないまま)「傷病除隊」扱いで一般社会に帰された患者の存在が[[マスコミ]]報道で明らかにされることで、厭戦機運の醸成や反戦運動のきっかけとなり、([[クーデター]]の発生など)政権運営にダメージを及ぼす恐れもある。))という認識が浸透しつつあり、部隊に精神医学の専門家が従軍することも多くなっている。~
医学における正式名称は「心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder:PTSD)」。~
ただし、戦場における兵士のPTSDは独特の要件が多い事から別個の病名を割り当てるべきという主張もある。

**わが国での現状 [#qd42300e]
わが国では、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])終結後に海外から[[復員]]してきた兵士の中に「南方ボケ」などといわれた虚脱状態に陥った者の例が多数報告されている。~
しかし、どのようなケアがなされたかについては(終戦後の混乱や軍の解体などで)不明な点が多い。~
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その後、[[自衛隊]]という形で国防・軍事組織が再建されたが、1990年代まではこうした問題に直面することはなかった((日本国へ他国が武力侵攻するような事態が発生せず、また、法制上の制約から海外での軍事活動も行われてこなかったため。))。~
しかし、2000年代に入ってから[[自衛隊]]の海外活動(([[9.11事件]]後に勃発した「対テロ戦争」に伴い、[[多国籍軍]]艦船への給油支援に[[海上自衛隊]]の艦船が派遣され、2003年のイラク戦争後に行われた「復興支援活動」には[[陸上自衛隊]]・[[航空自衛隊]]が派遣された。&br;  現在では[[国連>国際連合]]の[[平和維持活動>国連軍]]やインド洋での武装海賊からの商船護衛など、参加のバリエーションが広がっている。))が本格化したことや、東日本大震災で大規模な災害派遣出動が行われた((一時期は実働兵力の1/3に及ぶ人員が被災地に送られていた。))ことで、これらの活動に参加していた[[自衛官]]の間に類似の症状が発症しているとの報告があり、[[防衛省]]ではその対策に苦慮しているという。
**短期的影響 [#f646d41b]
耐性が平均水準を大きく下回る者も多く、ほとんど影響を受けない者も希にいるが、基本的に発症は時間の問題である。~
発症を防ぐ根本的な対処法は長期間に渡って戦線に配置し続けない事、定期的に休暇を与える事以外にない。~
[[ノルマンディー上陸作戦]]における[[連合軍]]の統計によれば、一人の兵士が戦闘任務に耐えられる期間は20〜50日程度とされる。~

戦闘開始から最初の10日間ほどは、日常から離れて戦闘環境に適応する過渡期である。~
歴戦の古参兵や、戦場より訓練の方が過酷な[[特殊部隊]]などの例外を除けば、この期間にある兵士に任務遂行能力は期待できない。

最初の10日以内に[[後送]]された一部の例外を除けば、適応が完了して最大限の[[士気]]を維持できる期間は20〜30日ほど続く。~
この期間を過ぎると注意力・判断力・感情表現・意思疎通などに支障をきたし始め、その後10日前後で[[士気]]が完全に崩壊する。~
最終的には全く無気力な状態になり、機敏な[[機動]]・複雑な[[作戦]]行動・敵襲への警戒などが事実上不可能になる。

具体的には以下のような症状が徐々に、あるいは突如として発症していく。
-強い恐怖・無力感・不安感と、それに伴う不眠症・集中困難
-怒りの爆発や混乱、過度の警戒心や驚愕反応
-感情の萎縮、希望や関心の喪失
-「ショック」に関係する記憶の無意識的な忘却
-苦痛に満ちた記憶に関連する悪夢やフラッシュバック
-アルコール・薬物・性交渉などに対する重度の嗜癖行動

**長期的後遺症 [#y07332dd]
前述の短期的影響はおおむね一時的な精神の失調であり、安静な休暇を取る事で回復する。~
しかし、一部にはこれらの影響から回復せず、長きにわたって精神疾患として定着する場合がある。~
また、いったん回復した後、6ヶ月以上経ってから突如として「再発」する事例もある。

>>娯楽作品では「戦場体験が原因で快楽殺人に耽溺するようになった」などという極端な形で描かれる場合もある。~
「戦場帰りの猟奇殺人鬼」は少数ながら確かに実在するのだが、極めて希少かつデリケートな事案であり、実像はよくわかっていない。~
ただし、上記の症状が長期にわたって回復せず悪化し続けた場合、暴力的な犯罪に繋がる危険性があるのは確かである。

薬物療法においては一部の抗うつ薬の効能が認められるが、長期に渡って再発を防ぐ効果は期待できない。~
完治に至る(完治し得るとすればだが)唯一の方法は、認知行動療法を伴う本人の自助的・自発的な回復である。

ただし、重篤な症例が医学的・心理学的・あるいは宗教的な補助を受けずに自然に回復する事は基本的に期待できない。~
また、極度の重症においては脳機能に永続的なダメージを負い、人間としての基本的行動力を一生取り戻せなかった事例もある。

**歴史上での扱い [#l7bb0fe4]
[[紛争]]そのものは人類史において普遍的な現象であったが、この精神疾患の存在は近代までほとんど知られていなかった。~
なぜ知られていなかったかという点について学術上の決定的な結論はないが、仮説としては3つほど挙げる事ができる。

+中世までの「戦場」は特筆に値するほど恐ろしい状況ではなかった。~
[[榴弾]]が人体を爆音とともに引き裂くようになる以前、戦争は多数の人間が集まって大騒ぎする一種の祭りであった。~
兵士達も義務ではなく略奪などの臨時収入目当てで戦う側面が強く、生還者のほとんどはいくらかの「収穫」を体験して満足感を得た。~
また、糧食の問題は今よりずっと深刻であり、戦闘状況が10日以上続くなどという事は[[要塞]]攻略戦以外ではまずなかった。~
籠城や略奪行などで局地的な極限状況は頻発したが、極限から生還する者は極めて希であり、問題にする必要はあまりなかった。
+中世までの人類社会は、精神病者の言動について研究できるほど余裕に満ちてはいなかった。~
心の病を治療する目処などなかった時代、「物狂い」は近隣社会から放逐される事を避けられなかった。~
権力層でも錯乱状態で権力を振るう事がないよう、[[暗殺]]されるか寺院や隠居に押し込められるのが通例だった((実際、僧伽や修道院での修行生活は「認知行動療法」として一定の有効性が期待できたようである。&br;  ……ただひたすら毎日を嘆き暮らして人生を終えた者も少なくなかったようだが。))。~
+近代以前、人類にとって死の恐怖は日常であった。~
もちろん戦場に出た人間のいくらかは死ぬのだが、日常の野良仕事であれば死なないというものでもない。~
[[疫病>バイオハザード]]や天災、不十分な衛生、厳しい食糧事情など、およそ人の日常において死因には事欠かない。~
人が死ぬのは避けて通れない日常の一部であり、兵士のほとんどは幼少期から死の恐怖や隣人との死別を経験していた。~
また特権的な戦士階級は幼少から戦場に赴くために厳しい教練を受け、比較的高い耐性を得た上で戦場に赴く事ができた。

何にせよ、兵士が負った心の傷が「問題」となったのは[[徴兵制]]を前提とする[[国家総力戦]]態勢が確立されて以降の事である。~
しかしそれも「臆病者は戦場で恐怖のあまり狂う事がある」といった程度の認識であって、それが普遍的な病理であるとは認識されなかった。~
戦争神経症が人間普遍の病理であって予防・治療が重要であるという認識に辿り着くのは、実に[[ベトナム戦争]]終結後の事である。

戦争神経症に関する本格的な研究・治療体制は、[[冷戦]]時代のベトナムやアフガニスタンの[[戦訓>コンバットプルーフ]]による。~
過酷な戦場から帰還した兵士達の間で多数の発症例が確認され、また同時期に退役兵による凶悪犯罪なども多発。~
軍の[[士気]]に対する甚大な悪影響を及ぼすのみならず、[[クーデター]]等の政権崩壊にさえ繋がりかねない深刻な社会問題に発展した。~
こうした問題に対する予防措置として、[[軍隊]]には精神医学上の問題に対処する専門の軍医が必要とされるようになった。


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