*&ruby(しなの){【信濃】}; [#x280f167]
大日本帝国海軍・超大型[[空母>航空母艦]]「信濃」。~
[[大東亜戦争]]後期、建造中の[[戦艦]]から空母に改造された艦である。~
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当初、本艦は「[[大和]]」級[[超ド級]][[戦艦]]の3番艦として横須賀海軍工廠で建造が進められていた。~
しかし、建造途中の1942年、[[ミッドウェー海戦]]で[[連合艦隊]]の擁する空母[[機動部隊]]が壊滅的な被害を蒙り、その補充が急務となった。~
このため、本艦は戦艦としての建造が中止され、空母に設計変更されて建造が続けられた。~
>同様に、改「鈴谷」級大型[[重巡洋艦>巡洋艦]]として建造されていた「[[伊吹]]」も空母に設計変更され((しかし、工事が80%程度進捗したところで中止となり、そのまま終戦を迎えた。))、また、大正初期に建造された旧式戦艦「伊勢」「[[日向]]」も空母へ改装されることになったが、こちらは予算と費用の兼ね合いから完全な空母にはできず、[[戦艦]]としての水上砲戦能力を一部残した[[航空戦艦]]として就役した。

(空母としての)本艦の設計・建造に当たっては、他の空母とは異なるコンセプトが採用された。~
敵の[[機動部隊]]を[[アウトレンジ]]するため、本艦は機動部隊の前方海面に進出し、後方の空母から発進してきた[[艦載機]]を一旦収容し、[[燃料]]・弾薬の補充を行って敵へ向かわせる、という運用法が考えられた。~
このため、当初は自前の[[攻撃機]]を搭載せず、直衛の[[戦闘機]]のみを搭載することとされ、また、予想される敵攻撃隊の攻撃に対処するため、[[飛行甲板]]にも[[装甲]]が施されていた。~
>このことで[[公試排水量]]が68,000トンになったことから、後年「世界初の[[スーパーキャリアー]]((「68,000トン」を国際標準のメートルトンと解釈し、これを米トンに換算すると「約75,000米トン」に相当する、として。))であった」という説も生まれたが、本来の[[スーパーキャリアー]]とは運用思想が根底から異なるため一般的ではない。

空母としての改装工事は1944年秋までかかり、1944年11月に竣工した。~
しかし、戦局の急速な悪化に呼応して建造が急がれ、必要な工事の大半が省略された形で竣工とされたため、呉に回航して残りの工事を行うこととなり、工廠の工員も乗せたまま処女航海に出た。~
その途上、本艦は紀伊半島沖合で米[[バラオ級>バラオ]][[潜水艦]]「アーチャー・フィッシュ(SS-311)」の雷撃により、[[魚雷]]4本が命中して横転・沈没、竣工からわずか10日という短すぎる生涯を閉じた。
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**スペックデータ [#r3a6399d]
|種別|航空母艦|
|主造船所|横須賀海軍工廠|
|起工|1940.5.4|
|進水|1944.10.8|
|就役|1944.11.19|
|除籍|1945.8.31(1944.11.29沈没)|
|[[排水量]]&br;([[公試>公試排水量]]/[[基準>基準排水量]]/[[満載>満載排水量]])|68,060t/62,000t/71,890t|
|全長|266.1m|
|[[飛行甲板]]長|256m|
|全幅|40m|
|水線長|36.3m|
|喫水|10.31m|
|主缶|ロ号艦本式罐・重油焚×12基|
|主機|艦本式オールギヤードタービン×8基4軸推進(出力153,000hp)|
|[[燃料]]搭載量|重油9,000t|
|最大速&br;(計画値)|27[[ノット]]|
|[[航続距離]]|10,000[[海里]]/18ノット|
|乗員|士官、兵員2,400名|
|兵装|12.7cm連装高角砲×8基16門&br;25mm機銃×3連装37基・単装40基&br;28連装12cm[[噴進砲>ロケット弾]]×12基|
|搭載機|常用45機([[烈風]]・[[流星]]・[[彩雲]])+補用9機((総数75機という説もある。))|
|設備|[[昇降機>エレベーター]]×2基|
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