*&ruby(そうや(じゅんしせん)){【宗谷(巡視船)】}; [#u531f821]
MSA((Maritime Security Agency. [[海上保安庁]]のかつての英文表記で、現在の海保保有の船舶であれば「JCG(Japan Coast Guard)」となる。)) Soya(PL-107).~
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1950年代〜1970年代にかけて活躍した、[[海上保安庁]]の砕氷巡視船。~
1956年に開始された日本の南極観測事業に参加し、「初代南極観測船」として国民の名声を博する。~
現在は東京・お台場の「船の科学館」にて繋留保存されている((同館の屋外展示施設として活用されていたが、2011年10月から陸上の本館部分が無期限休館となったため、本船の展示と屋外展示物・体験教室プールによる博物館活動を継続している。))。~
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また、[[大東亜戦争]]時は[[旧帝国海軍>日本軍]]籍であったため、旧海軍の数少ない現存艦艇でもある。~

**その生涯 [#je1951fa]
本船は当初、ソ連向けの砕氷貨物船「ボロチャエベツ(Volochaevets)」として、1938年(昭和13年)に竣工した。~
当時、日本がソ連から満州・東清鉄道の権利を買収した契約の一部として、同国通商代表部から発注された3隻の貨物船のうち1隻であったが、[[第二次世界大戦]]開戦前という情勢からソ連には引き渡されず、日本の海運会社に買い取られて耐氷型貨物船「地領丸」として就役した((同時に発注されていた僚船「ボルシェヴィク」「コムソモレツ」もソ連には引き渡されず、それぞれ「天領丸」「民領丸」として就役した。))。~
>発注・建造の経緯から氷海航行能力を持っていたため、海軍が北方海域での強行測量艦として欲しがっていた((従来、この任務には大正時代に建造された砕氷艦「大泊」を用いていたが、同艦が老朽化していたため、新砕氷艦建造までの繋ぎとして本船を必要としていた。&br;  しかし、1945年の終戦まで海軍独自の新砕氷艦は建造されなかった。))が、ソ連との契約があるため直接海軍に編入できなかった。~
1938年末に海軍が本船の購入費を予算に計上したが、ソ連側が「契約違反」だとして抗議、一時は日ソ両国の政治問題にまで発展した。

1940年に正式に海軍へ編入、「宗谷」と改称され、特務艦(強行測量艦兼[[運送艦>輸送艦]])となった。~
このとき、武装として8cm単装[[高角砲>高射砲]]1門と25mm連装機銃1基を装備し、測量用として海軍制式の[[音響測深儀>ソナー]]や10m測量艇2隻(定数4隻)を搭載。また、測深儀室・製図室・測量作業室なども設けられた。~
1941年12月に[[大東亜戦争]]が開戦すると、本船は南太平洋に進出し、物資輸送や測量任務に活躍した。~
この間、数度の戦闘に巻き込まれるも大きな被害を受けることなく(([[潜水艦]]1隻撃退・[[戦闘機]]1機[[撃墜]]の戦果を記録している。))1945年の終戦まで生き延び、北海道・小樽にて終戦を迎えた。~
終戦後は小樽〜樺太間を往復して、邦人の引揚者多数を北海道へ運んだ。~
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その後、本船は[[海上保安庁]]に移管され、オホーツク海沿岸の灯台に勤務する職員に生活物資を運ぶ「灯台補給船」として使用されていたが、1956年の「国際地球観測年」において、日本が南極観測事業に参加することとなったため、観測隊の人員・資材輸送を行う「南極観測船」として改装されることになった((本船以外に、国鉄(日本国有鉄道)の鉄道連絡船「[[宗谷丸>宗谷]]」なども候補に上がっていたが、予算の問題や耐氷構造、船自体の強運を買われて選ばれたという。))((この際、種別が「灯台補給船」から「巡視船」に変更されている。))。~
これに際し、南氷洋の航海に耐えられるように船体の補強と耐氷能力を向上する改装が施され、1957年1月、第1次観測隊を載せて南極・オングル島のプリンスハラルド海岸へ到着。観測隊は同地に「昭和基地」を開設した。~
その後も日本〜南極大陸を往復し、観測隊員や物資を輸送したが、氷海航行能力は外国の砕氷船に比べて劣っており((1957年の第2次観測隊派遣では、厚い氷床に阻まれて隊員を送り届けることができず、越冬を終えた第1次隊と共に日本へ引き返さざるを得なくなった。))、[[アメリカ海軍]]の「バートン・アイランド(USS Burton Island AG-88)」((1966年に[[沿岸警備隊>アメリカ沿岸警備隊]]へ移管され、艦籍番号が"WAGB-283"と改められている。))やソ連の「オビ」などのサポートをたびたび受けていた((特に、氷海上で立ち往生寸前だった第1次観測隊輸送の時は、救援した「オビ」が、本船を引き離さないよう注意して進まねばならないほどだった、という。))。~
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1962年に、南極観測事業の一時中断に伴って昭和基地を撤収した第6次観測隊を日本本土に送り届けたのを最後に、南極観測船としての任務を解除((1963年の再開後は[[海上自衛隊]]が観測隊の輸送業務を引き継いだ。))されて一般の巡視船に復帰、北海道に配属されて北方海域の警備・救難任務に従事した。~
1978年に海保から解役((本船の代替として、[[ヘリコプター]]搭載巡視船「[[そうや>宗谷]](JCG Soya PLH-01)」が就役した。))された後、翌1979年から船の科学館に繋留され、一般公開が始まった。~
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前述のとおり、現在の本船は博物館の展示物となっているが、公式書類上では「無動力の船」という扱いになっており、必要とあれば舫を解いて動かすこともできるという。~
しかし、竣工から70年以上経過していることと長年にわたる酷使、及び長期の繋留により船体の劣化が進行しているため、保存継続のための募金活動が行われている。

**スペックデータ [#de8c7dea]
|[[排水量]]|2,224t(新造時)|
|母港|東京港|
|全長|82.3m|
|全幅|12.8m|
|機関|新潟鉄工所製 8気筒[[ディーゼルエンジン]]×2基(2,400馬力) [[スクリュー>プロペラ]]1軸推進|
|速力|12.5ノット|
|搭載機|[[ヘリコプター]]×4機([[ベル>ベル・エアクラフト]]47G、S-58)&br;[[航空機]]×1機&br;([[セスナ]]180型、デハビランド・カナダ DHC-2「ビーバー」、セスナ185型)|
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