【三菱重工爆破事件】(みつびしじゅうこうばくはじけん)

1974年(昭和49年)8月30日、日本の反政府武装組織「東アジア反日武装戦線」が起こしたテロ事件。

犯行グループは東京・丸の内の三菱重工本社ビルの玄関前に仕掛けた時限爆弾を爆発させ、社屋の一部を破壊。
(後述のように)非常に威力の大きな爆弾であったため、被害は近隣のビルや街路にまで及び、死者8人・重軽傷者376人を出す、日本国内で起きた爆弾テロ事件としては最大規模の人的被害を記録した事件*1となった。

その後の調査で、爆発した爆弾はベール缶2個に40kgの爆薬を詰めたものであったことが判明した。

犯行グループ

この事件から一ヵ月後、「東アジア反日武装戦線 [狼]」を名乗るグループから犯行声明が出された。
この「東アジア反日武装戦線」は、当時、アジアの発展途上国に進出していた日本企業を「日本帝国主義の走狗」として攻撃することを目的として結成されたもので、斉藤和(都立大学中退)と友人の佐々木則夫が中心となって昭和46年に発足した。
同組織は「狼」、「さそり」そして「大地の牙」の3グループで構成されており、メンバーが逮捕されたら青酸カリで自決するように指示されていた。

使用された爆弾

前述の通り、この事件では非常に威力の大きな爆弾が使用され、死者8人・重軽傷者376人という大惨事になったが、その後の捜査で、この爆弾は元々鉄橋を爆破するために作られたものであったことが判明した。

「東アジア反日武装戦線」はこの事件を決行する前、昭和天皇の暗殺を目的とした「虹作戦」と呼ばれる計画を立てていた。
彼らは、昭和天皇が静養先の栃木県・那須御用邸から帰京する予定日の8月14日*2、お召列車が東北本線の赤羽〜川口間に架かる荒川橋梁を通過するタイミングで爆破することを計画、「昭和時代を『昭和49年8月14日』で終わらせる」として準備に着手した。
しかし決行前日になり、警察官、浮浪者、痴漢ともとれる第三者が現れ、遠巻きに自分たちを包囲しようとしている行動をとり始めたため、計画が察知されることを恐れた彼らは作戦を断念、後日の再起を期して撤収した。
そして、用意された爆弾は本事件に使われることとなった。

参考リンク:
ウィキペディア「三菱重工爆破事件
連続企業爆破事件
虹作戦
事件史探求


*1 国内で起きたテロ事件全般で見ても、1995年の地下鉄サリン事件に次ぐ人的被害であった。
*2 犯行グループがこの日取りをニュースで知っていたことから、以後、マスコミ各社は政府要人の公務旅行に関するニュースを「事後報告」の形で伝えるようになった。

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