*&ruby(あつぎかいぐんひこうじょう){【厚木海軍飛行場】}; [#b7d502f1]
Naval Air Facility Atsugi/JMSDF Atsugi Air Station.~
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神奈川県綾瀬市・大和市にまたがる[[軍用飛行場>飛行場]]。通称「厚木基地((海上自衛隊では「厚木航空基地」と呼称している。))」。~
[[海上自衛隊]]及び[[アメリカ海軍]]が共同で使用している(([[航空管制>航空交通管制]]は海自が行っている。))。~
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アメリカ海軍は[[空母>航空母艦]]「[[ロナルド・レーガン(CVN-76)>ニミッツ(航空母艦)]]」[[艦載機]]の「[[第5空母航空団(CVW-5)>航空団]]」が拠点としており、海上自衛隊は[[哨戒機]]部隊の第4航空群・実験部隊の第51航空隊・[[輸送機]]部隊の第61航空隊の拠点として用いている。~
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本飛行場のルーツは[[大東亜戦争]]中の1942年、[[日本海軍>日本軍]]によって本土防空の拠点として開設された飛行場に端を発する。~
東京にいちばん近い海軍航空隊の飛行場として本土防空の拠点となっていたが、1945年8月15日の[[ポツダム宣言]]受諾に伴って駐留部隊がこれに反発。~
政府・軍高官の説得も効を奏せず、一時は進駐してくる[[連合国軍>連合国(第二次世界大戦)]]との武力衝突寸前の事態にまでなっていたが、直前で反乱部隊の指揮官が病に倒れ、これを契機に部下将兵も退去させられて反乱は収束。~
連合国軍は同月28日、本飛行場を接収した。~
>この2日後、[[GHQ]]最高司令官・[[ダグラス・マッカーサー]][[元帥]]が乗機「[[バターン号>DC-4]]」で本飛行場に上陸している。

以後、本飛行場は[[アメリカ陸軍航空隊>USAAF]]の飛行場及び[[陸軍>アメリカ陸軍]]の物資集積所として用いられ、一時は接収解除も検討されたが、1950年の[[朝鮮戦争]]勃発を契機に航空拠点として見直され、管轄も陸軍から海軍に移された。~
朝鮮戦争の停戦後も基地施設の拡張・整備は進み、1960年ごろには現在と同じような姿になった。~
>この間、1970年の大阪万博開催時には[[羽田空港>東京国際空港]]の収容力が限界に達したため、ローカル線の一部が期間限定で本飛行場からの発着に変更されている。

その後、1971年からは海上自衛隊が本飛行場の使用を始め、1973年からは空母「[[ミッドウェイ]]」の艦載機が本飛行場を使用するようになり、現在の形になった。~
今後、[[アメリカ軍]]駐留部隊は戦略の見直しにより、山口県・岩国基地へ順次移転することとなっており、移転後は海上自衛隊の基地として用いられることになっている。~

**空港情報 [#y7dcfba6]
|種別|軍用|
|[[滑走路]]|2,438×45(01/19)|
|3レターコード|NJA((余談だが、[[ICAO>国際民間航空機関]]の航空会社コードでは「新日本航空」に割り当てられている。))|
|4レターコード|RJTA|
|[[ILS>計器着陸装置]]|あり|
|設置・管理者|[[防衛省]]([[海上自衛隊]])|

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