*&ruby(きんしくんしょう){【金鵄勲章】}; [#tc94d6ec]
[[旧日本軍>日本軍]]において、戦時に特に優れた功績をあげた軍人・軍属に対し、日本政府が授与した[[勲章]]。~
1891年(明治23年)に制定された((この年は、神武天皇の即位から(神話時代を含めて)2550年目の年とされていた。))。~
なお、「金鵄」の名は、日本の初代天皇である神武天皇の故事((「金色のとびが神武天皇の御弓にとまり、その輝きに長髄彦の軍勢の目がくらんで[[降伏]]した」というもの。))に由来する。~
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関連リンク:http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/kinshi.htm

**概要 [#w39b27a9]
この勲章には、「功一級」〜「功七級」まで7つのランクがあり、対象者の[[階級]]・功績((本勲章は、あくまでも「戦時にあげた功績」に対して授与されるので、後に将官に累進してさらに高位の勲章を受けていても、本勲章については青年・中堅士官時代に得た低いランクのままだった者や、実戦参加の経験が無いために未受章のまま将官になった者もいた。))によって授与される級が決まっていた。~
また、この勲章の受章者には当初、その級に応じた終身年金が支給されていた。~
その概要は次の通りである。~
|級|授与対象|年金額((廃止時の最終状態。))|
|功一級|「天皇直属」とされた[[戦略]]レベル組織の長((陸海軍大臣や参謀総長(陸軍)・軍令部長(海軍)など。&br;  なお、前述のとおり、本勲章は「戦時に挙げた武功」に対して授与されるのが本来の姿であるが、「武功」にはこれらの職にあったことに対しての功績も含まれていたため、前線勤務を経験せずに受章した例もあった。))に対し、特別に詮議の上授与|1,500円|
|功二級|特に大きな勲功を立てた将官(及びこれに相当する職階の軍属。以下同じ)((上級の勲章を受けたとき、先に受けた下級の勲章は返納することになっていた。(1941年に制度改正され、返納しなくてもよくなった)以下同じ。))。&br;もしくは本勲章を与えられうる功績を重ねた佐官(佐官ではこの級が最上位)。|1,000円|
|功三級|戦時に勲功を立てた将官(将官ではこの級が初叙((勲章の授与対象となったとき、最初に授与されるランクのこと。)))。&br;もしくは本勲章を与えられうる功績を重ねた佐官及び尉官(尉官ではこの級が最上位)。|700円|
|功四級|戦時に勲功を立てた佐官(佐官ではこの級が初叙)。&br;もしくは本勲章を与えられうる功績を重ねた尉官及び准士官((陸軍の「特務曹長」(後に「准尉」)、海軍の「兵曹長」。))(准士官ではこの級が最上位)。|500円|
|功五級|戦時に勲功を立てた尉官(尉官ではこの級が初叙)。&br;もしくは本勲章を与えられうる功績を重ねた准士官及び下士官(下士官ではこの級が最上位)。|350円|
|功六級|戦時に勲功を立てた准士官及び下士官(准士官及び下士官ではこの級が初叙)。&br;もしくは本勲章を与えられうる功績を重ねた兵卒(兵卒ではこの級が最上位)。|250円|
|功七級|戦時に勲功を立てた兵卒(兵卒ではこの級が初叙)。|150円((昭和初期の二等兵の月給は8円80銭であり、これでもかなりの高額であった。))|

なお、上記表に記載の終身年金制度は後に廃止され((日華事変の長期化で受章対象者が増え、年金の支給事務が煩雑になったため、といわれている。))、記名国債(20年償還・年利3.65%)の交付による「一時金」の給付に切り替えられた((この債券は他人への譲渡や売却が許されず、また、償還前に本人が死亡したときは国が買い上げることとされていた。))が、終戦に伴って政府が債券の無効を宣言してしまい、1円の価値もなくなってしまった。~
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また、生存者への叙勲は1940年に停止され、以後は戦功をあげた戦死者にのみ授与されることになった。~
>そのため、前線部隊では勲功抜群な者に対し「金鵄勲章の確約」として軍刀や感状、記念品を与えたり、陸軍では「陸軍武功徽章」を授与するなどの対応がとられた。

**その後 [#wcf8ab0a]
[[第二次世界大戦]]終戦に伴う軍の解体によって陸軍省・海軍省が廃止となったため、関連事務は第一復員省(陸軍省の後身)・第二復員省(海軍省の後身)→復員庁に引き継がれ、翌1946年には他の勲章とともに生存者への叙勲が一時停止となった。~
そして1947年の日本国憲法施行に伴い、他の種類の勲章と共に廃止された。~
>この時、金鵄勲章による年金を受けていた受章者に対しては、1967年に10万円の一時金が支給されたが、他の種類の勲章が戦後復活したのに対して、金鵄勲章だけは復活せず、また、公的な場で佩用することも禁止されたままだったので、旧受章者から「名誉回復」を求めた運動が起きることになった((後、1986年に佩用が解禁されている。))。~

**参考:自衛官に対する表彰 [#fc1d0fd0]
上記のように、従来の勲章制度の廃止→復活の過程で、勲章は原則として「文民にのみ」与えられるようになったため、戦後に発足した[[自衛隊]]には長い間、その業務に従事した人物の功績を公的に表彰する制度が存在しなかった。~
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その後、1980年代になってようやく「防衛記念章」という表彰制度ができたが、これはかつての金鵄勲章のように政府が与えるのではなく、防衛大臣が[[省>防衛省]]の内部に向けて行う表彰であり、どちらかといえば「従軍記章」に近いものであった。~
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そして、2003年に国の栄典制度が抜本的に改正された折、それまでの勲章受章資格者の選考対象とは別個に「危険業務従事者叙勲」という制度((この制度の適用対象は、[[自衛官]]の他、警察官・消防吏員・[[海上保安官]]・入国警備官・刑務官など、身体・生命の危険を伴う公益業務に長年従事してきた満55歳以上の者となっている。))が発足し、[[自衛官]]であった者も、その業務に従事した功績によって勲章を受けられる道ができることとなった。((国の叙勲は、毎年4月29日及び11月3日付で発令されるが、危険業務従事者叙勲を発令される者(毎回3,500〜3,600名程度)のうち、おおむね1/4を[[自衛官]]出身者で占めている。))

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