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*&ruby(ぎょくさい){【玉砕】}; [#s0ead278]
[[大東亜戦争]]当時の日本において、[[部隊]]の全滅を意味する言葉。~
「全滅」という負の意味を持つ言葉をそのまま用いては、兵士や国民の[[士気]]に関わるため、「玉=天皇陛下のために砕け散る」と言う美称に言い換えたものである。~
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当初「部隊がその地での作戦任務を終え、命令により別の地点へ移動した」こととして「転進」という言葉が使われていたが、[[連合国>連合国(第二次世界大戦)]]軍の反攻が本格化して、戦線の全域で後退を余儀なくされるにつれて、こちらの言葉の方が使用されるようになった。~
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一般的に、戦況が思わしくなく[[撤退]]も難しいという場合、部隊指揮官が[[降伏]]を決断し、正規の手続きに則って行動すれば、(一応は)[[ハーグ陸戦条約]]や[[ジュネーブ条約]]などの戦時国際法に則った捕虜としての取り扱いを受けることができる。~
しかし、当時の[[日本軍]]においては「生きて虜囚の辱めを受けず」と説かれた「戦陣訓」などの影響により、他国の軍隊に比して「降伏」という行為への心理的拒否感が強く((そもそも「降伏」という行為には敵に屈する精神的苦痛が伴うものであり、また、捕虜になった後、(敵兵による拷問や強制労働など)どんな恐ろしい目に遭わされるか判らない、という強い不安感もある。))、それゆえに「部隊が全滅するまで戦い続けること」が「善」とされてきた。~
この言葉は、そうした心理的背景から生まれてきた言葉と見られている。~
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割れた玉(宝石)のように煌びやかに砕け散ること。転じて、誇りと共に語り継ぐに値する壮絶な死のこと。~
「死亡」「全滅」などの言い換えとしての敬語表現の一つであるが、戦後は[[旧軍]]に対する偏見の影響で意味が変質している。~

現代では主にスポーツの試合などで、格上の相手に対して果敢に挑むも惜しくも敗れ去る、などの意味で用いられる。~
実際に死者が発生した場合に「玉砕」と表現するのは現代日本語においては重大なタブーである。

>語源は中国の歴史書『北斉書』の記述「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」から。~
「立派な男子は脆い宝玉のように砕け散る事を尊びはするが、屋根瓦のようにくだらない生涯を全うする事は望まない」の意。~
「玉(天皇陛下)のために砕け散る」の意であるとする珍説もあるが、これは間違い。

言葉の指し示す事柄の実態を考えれば自明であるが、この語を用いる表現は著しく不穏である。~
自ら「我々は玉砕しようと思う」などと仲間を鼓舞したとして、よほど平静を失った人間でなければ素直に頷けるものではない。~
あるいは戦死者に関して「爾後通信は全く途絶、全員玉砕せるものと認む」との発表があったとして、その言葉が遺族への慰めになるわけでもない。~
日本語での「玉砕」という言葉の本質は「死ぬ」「死んだ」と口にするのを避けるための隠喩であって、実際に敬意を込める事は多くない。

**[[太平洋戦争]]における「玉砕」 [#ee7a5f5d]
[[第二次世界大戦]]の後半、大日本帝国[[大本営]]は「玉砕」という表現を異様なほど多用した。~
それは何故かと言えば、「玉砕した」と表現するしかない状況((仮に戦況とそこに至る経緯を一切の嘘偽りなく正確かつ率直に伝えたとしたら、[[大本営]]の将校たちは[[クーデター]]勢力に[[暗殺]]され、その遺体は柱に吊されて市民に石を投げ付けられただろう。))が異様なほど多発したためである。

そのような絶望的戦況を生み出したものが何であるかはさておき、勝利も[[撤退]]も不可能になった[[部隊]]の多くが、なお[[降伏]]せず戦い続けて全滅した。~
そうした態度を戦中当時の陸軍大臣・東條英機の著『戦陣訓』などの思想的影響と見る向きもある。実際、当時の軍上層部にはその影響も確かに見られる。~
しかし現実問題として、前線の兵士達は玉砕を望んでいたのではなく、「生きて虜囚となる」事を許されなかったと見るべきだろう。~

>[[真珠湾]]で捕らえられた[[太平洋戦争]]最初の捕虜は身元が明らかになるや功績を抹消され、生存している事実さえ極秘とされた。~
その後の捕虜達も家族が「非国民」として差別される事を恐れ、戦時法で保証されている家族との文通を自ら拒否したという。~
また、そもそも兵卒は捕虜の扱いについて何ら教導を受けず、ただ「捕虜になるのは死ぬより恐ろしい」とだけ言い聞かされていたという。

関連:[[大本営発表]] [[バンザイアタック]]


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