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*&ruby(きっか){【橘花】}; [#i1ec5f2e]
日本初にして、[[旧軍]]唯一の完成したジェット機。~
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1944年8月、日本海軍が[[中島飛行機>富士重工業]]に対して、[[ターボジェット]]エンジン搭載の[[攻撃機]]「皇国2号兵器」として開発を命じた。~
ドイツの「[[Me262]]」をもとに開発されたといわれているが、当時の日本へもたらされたのは参考図面のみ((当初、ドイツから図面や部品の現物が[[潜水艦]]で運ばれてくることになっていたが、その潜水艦が帰路に撃沈されてしまい到着しなかった。))で、実際の設計はほとんど中島飛行機の技術者たちによっておこなわれた。~
ゆえに、本機を[[Me262]]のコピーというのは不適当である。~
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[[Me262]]に比べ、後退角の非常に浅いテーパー翼や、ずん胴な機体形状などが特徴である。~
[[艦載機]]ではないが、[[防空壕>掩蔽壕]]へ収納するため[[主翼]]は折りたたみ式になっている。~
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日本の工業地帯が[[アメリカ軍]]の空襲を受けるようになったため、開発は群馬の養蚕小屋でおこなわれた。~
当初は発動機としてネ12[[ターボジェット]]が予定されていたが、比較的強力なネ20が開発されて余力が生じたため設計変更がなされ、1号機の完成は1945年6月となった。~
同年8月7日に木更津基地で初飛行し、同11日に爆装時の[[離陸補助火薬ロケット>RATO]]を取り付けての飛行試験を行ったが、主脚や制動装置に[[零戦]]のものを流用していたのが災いし、[[滑走路]]をオーバーランして大破し、そのまま終戦を迎えた。~
>パイロットの高岡迪氏の証言によれば、離陸速度に達したくらいで機体全体が前につんのめるような感じになり、ブレーキを踏んだらしい。~
しかし、同時にそれを外から見ていた人は「前輪は既に浮き上がりかけていて、ましてつんのめってなどいない」と証言している。

推定最高速度は時速670kmと決して優れたものではなかったが、物資の欠乏した日本では、ガソリンを必要としないジェット機に対する期待が大きかった。~
終戦時点で2号機は完成直前であり、他24機が製造中であった。~
また同機を複座化した[[偵察機]]型や、[[エンジン]]をより強化して[[機関砲]]を装備した[[局地戦闘機]]の「橘花改」も計画されていた。~

**性能緒元 [#hdd2a31c]
以下に掲げる諸元は『航空ファン別冊 太平洋戦争・日本海軍機』に記載されていたものである。

,種別,試作機
,主任務,沿岸部における対艦攻撃([[特別攻撃]])
,主契約,中島飛行機 
,主任務,沿岸部における対艦攻撃([[特別攻撃]])((本機の正式な種別は「特殊攻撃機」であるが、実用化されれば劣悪な戦局のため、特攻に使われることは明白であった。))
,主契約,[[中島飛行機>富士重工業]]
,全長,9.25メートル
,全幅,10.00メートル
,全高,3.05メートル
,翼面積,13.21平方メートル
,乾燥重量,2300キログラム
,最大離陸重量,3550キログラム(正規) / 4312キログラム(過重) 
,[[燃料]]搭載量,725リットル(正規) / 1450リットル(過重) 
,推定最高速度,677km/h(高度6000メートル) / 670km/h(高度10000メートル)
,推定実用上昇高度,10700メートル
,推定最大[[航続距離]],584km(高度6000メートル) / 899km(高度10000メートル)
,[[エンジン]],石川島 ネ20×2
,[[エンジン]],[[石川島>IHI]] ネ20×2
,[[推力]],475キログラム(4655ニュートン)
,武装,500kgまたは250kg[[爆弾]]1発 
,[[初飛行]],1945年8月7日
,乗員,[[パイロット]]1名


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