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*&ruby(きし){【騎士】}; [#bf1f4e8e]
中世の西欧諸国において発展した、[[騎兵]]の一形態。Knight.~
装備としては、[[重騎兵>騎兵]]と同じく騎兵槍・サーベルなどを備えるが、馬上試合や儀礼的決闘を行う事に特化され、見栄えよく取り繕われていた。~
戦場では騎士同士が各々名乗りを上げて「公正に」戦い、勝者は敗者の身柄と引き替えに身代金や利権・[[領土]]を得るものとされていた。~
非道な扱いを受けないよう、また身代金の支払いが滞らないよう互いに礼儀が求められ、捕虜となった騎士は愛馬共々大切に扱われた。~
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こうした振る舞いは「騎士道」と呼ばれていたが、実際の戦闘でどこまで遵守されていたかは疑わしい。~
こうした振る舞いは、(俗に「騎士道」と呼ばれる)騎士が遵守すべきとされる行動規範の一部をなしていたが、実際の戦闘でどこまで遵守されていたかは疑わしい。~
人質解放交渉が難航したか頓挫した場合、虜囚になった騎士の待遇は酷いものになった。~
ルール無用の無礼討ち・騙し討ちも多く、特に攻城戦ではおよそ公正な決闘など望めるものではない。~
騎士道に関する逸話・説話のほとんどは、騎士が廃れて以降に捏造されたものと思われる。~
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中世後期、経済発展と共に高度で大規模な戦争が生じると共に、騎士は歴史の表舞台から退場を余儀なくされ、生き残った者は[[傭兵]]や荘園領主などに変質していくことになる。((今日でも、西欧文化圏では階級や勲章・名誉称号として「騎士」の名残がいくらか見受けられる。))~
中世後期、経済発展と共に高度で大規模な戦争が生じると共に、騎士は歴史の表舞台から退場を余儀なくされ、生き残った者は(「フェーデ」と呼ばれる決闘ルールを悪用した)盗賊になったり、あるいは[[傭兵]]や荘園領主などに変質していくことになる。((今日でも、西欧文化圏では階級や勲章・名誉称号として「騎士」の名残がいくらか見受けられる。))~

**歴史的経緯 [#h0dc2c7e]
西欧では、古代から中世に至る過程で騎兵[[戦術]]が退化していた。~
古代ギリシャで既に確立されていた[[歩兵]]・騎兵の連携戦術が、中世では完全に忘れ去られ、「騎兵の隊列が先陣を切って突撃する」という異常事態((騎兵を描くフィクション作品ではしばしば見られるが、騎兵戦術としては「取ってはいけない悪手」であった。&br;  現代に置き換えれば「[[戦車]]が歩兵の援護なしで敵陣に突撃する」ようなものといえよう。))が常態化していたのである。~
古代ギリシャで既に確立されていた[[歩兵]]・騎兵の連携戦術が、中世では完全に忘れ去られ、「騎兵の隊列が先陣を切って突撃する」という異常事態((騎兵や騎士の戦いを描くフィクション作品ではしばしば見られる描写であるが、騎兵本来の戦術としては「取ってはいけない悪手」であった。&br;  現代に置き換えれば「[[戦車]]が他兵科(歩兵や砲兵・航空隊など)の援護なしで敵陣に突撃する」ようなものといえよう。))が常態化していたのである。~
中世ヨーロッパが後世において「暗黒の時代」と称される所以は多くあるが、この野蛮な戦術もその一つである。~
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この退化は、古代の名将が編み出した[[戦術]]をキリスト教が「冒涜的」だと批判・弾圧したからだとされる。~
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しかし一方で、騎士階級の形成は経済的な理由によるものだという説もある。~
高度な集団戦術を実行に移すには大規模な[[軍隊]]、言い換えれば膨大な軍事費が必要であり、大帝国の離散によって形成された中世の西欧社会で、そんな費用を捻出できる者はいなかった。~
よって、王侯貴族間の[[紛争]]は(現代日本における「ヤクザの抗争」程度の)形骸化された戦闘に終始していた。~
よって、当時の王侯貴族は互いに姻戚関係((現在の英国で、王位継承順位保持者が国外の王室・名家にまで存在しているのもこの名残と言える。&br;  ただし、彼ら彼女らは現英国王家とはかなりの遠縁になるため、王位継承の可能性は無いといわれている。))を結ぶことで[[紛争]]の発生を抑止し、交渉が不調に終わった時は(現代日本における「ヤクザの抗争」、あるいは「危険な賭け試合」程度の)形骸化された戦闘で解決していたのである。~
そのため、中世後期に再び「戦争」が起きると共に騎士は存在意義を失っていったものとされる。


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