【艦隊決戦】(かんたいけっせん)

かつて海軍で採用されていた戦略
可能な限り多くの戦力(艦艇)を集結させて艦隊を構成し、これをもって敵の海軍を壊滅に追い込む事を目標とする。
艦隊同士での消耗戦を想定するため、戦艦などの大型艦とそれによって可能になる大型艦載砲の破壊力を重要視し、必然的に大艦巨砲主義に結びついていた。

本質的には人海戦術の類であり、現代の海軍において積極的に推進されているものではない。
しかし、少なくとも第6の軍事革命の時代(1940年代前半)までは、同質の戦略でのみ対抗できる戦略の正道であったのも事実である。

古代から中世までにおいて、海戦とは敵味方のどちらかが船による行軍撤退を強いられた時にのみ起きるもので、実質的には避けるべきものであった。
港から数日離れるだけで船内の食料が腐り始める時代であった当時、船とは「動かせる橋」以上の何かではなく、通商破壊戦など成り立たなかった――そもそも海上に軍事的な意味を持つ通商路など存在しなかった。
望遠鏡もなく、敵船を最初に発見するのが灯台の見張りであった時代には制海権という概念も存在しなかった。
このような時代の戦闘艦艇は、敵軍の所在が明らかになるまで港に停泊しているしかなかったし、軍船に「城塞のような頑丈さ」以外の何かが求められる事もなかった。艦隊決戦は必然だった。

大航海時代を迎える頃には、遠洋航海技術の発達によって艦艇を独立した作戦単位として運用できるようになったが、この時代でも(規模の大小はあれ)海戦は艦隊決戦に終始していた。
船舶の機動力艦載砲有効射程、そして敵船を発見する索敵能力など、いずれも戦場となる海の広大さに比べれば劣悪を極めるものであり、海戦において一撃必殺、一撃離脱など望むべくもなかったためである。
また、ひとたび出港してしまうと別働隊と連携を取る事がほとんど不可能に近い事もこの傾向を助長した。
艦隊は外部からの支援を一切受けずに想定される全ての状況を切り抜ける必要があり、偶発的な遭遇戦がそのまま事実上の決戦になってしまう可能性も常に存在していた。

これは海賊が横行する理由でもある。
現代においてさえ、海賊に襲撃された事実が発覚してから艦隊を救援に差し向けても手遅れであるし、かといって遭遇するかどうかも(また勝てるかどうかも)わからない海賊から護衛するために艦艇を分散配置するのも現実的ではない。
敵の所在が明らかになってから討伐に向かうか、重要なシーレーンに限定して艦船を配備する以外に対処のしようがなく、現代のように紛争地帯に拠点を置いて高度なゲリラ戦を展開する海賊に対してはそれも困難を極める。

艦艇自体は、現代でもこの状況から脱却していないが、艦隊決戦という戦略そのものは、一撃離脱を可能とする潜水艦の登場によって大きく揺らぎ、制海権を無意味なものにする戦略爆撃弾道ミサイルの登場によって抜本的に見直される事になる*1
とはいえ、現代でも国によっては海軍に航空母艦を中核とする機動部隊を保持しているところもあり、艦隊決戦が全く想定されていないわけではない。


*1 ちなみに、航空母艦は直接の原因ではない。当時も現在も、空母は戦艦の後継として艦隊決戦の中核を担う艦種である。

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