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*&ruby(かいぐんよびいん){【海軍予備員】}; [#yf1c329e]
[[海軍]]における[[予備役]]制度の一種。~
民間の海事関係者(商船や漁船の船員など)を有事に海軍へ招集し、戦死傷者の補充や[[兵站]]輸送・海洋監視などの業務((これらの業務には、乗船している船舶ごと徴用されることもある。))に充てるもの。~
商船や漁船など民間船舶を運用する船員を海軍へと招集し、戦死傷者の補充や[[兵站]]輸送・[[海洋監視>偵察]]などの業務に充てるもの。~
船員個人を招集するのが基本的な手続きだが、船舶まるごと[[軍隊]]に徴用する場合もある。~
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一般の[[予備役]]将兵とは異なり、海事関連の学校(商船学校や漁業関係学校)を卒業するなど、船舶職員等としての一定の資格を満たすことで自動的に登録され、また、船舶職員等としての勤続年数が海軍軍人としてのキャリアと連動しており、一定の期間勤務することで(海軍将兵としての現役に服すことなく)自動的に昇級し、有事に招集された際には勤続年数相当の階級として遇されることが大きな特徴となっている((そのため、[[徴兵制]]のある国では改めて徴兵されることはない。))。~
なお、国によっては志願によって充足することもある。~
一般の[[予備役]]将兵とは異なり、退役軍人ではなく民間の船員を対象とし、招集を受けるまでは軍属ではない。~
船員としての資格・免許が[[海軍]]の徴用名簿に紐付けられ、船員としての経験・職能を招集後の[[階級]]にも反映させるのが一般的。~
古くは[[徴兵制]]の制度の一部として船員に予備員登録を義務付けるのが一般的であったが、近年では志願者のみを登録する制度である場合が多い。~
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近代以前における水夫の境遇は過酷であり、[[海軍]]の戦時徴用はどうしても強権的かつ苦痛を伴うものにならざるを得なかった。~
とはいえ、その事が[[士気]]と作業効率に無視できない悪影響を及ぼすのも事実であり、予備員の徴用は戦時にのみ行う緊急の措置とされていた。

**わが国における予備員制度 [#b197f817]
わが国では、1884年(明治17年)に海軍予備員制度が創設され、[[大東亜戦争]]の終結に伴う軍の解体まで施行されていた。~
当初は商船学校・高等商船学校(東京・神戸及び清水に所在((この3校は大東亜戦争終戦直前に統合されて「高等商船学校」→「東京商船大学」となったが、現在は東京水産大学と統合され「東京海洋大学海洋工学部」となっている。)))・水産講習所遠洋漁業科などの海事関連学校の卒業生を採用していたが、昭和になってからはこれら以外の高等教育機関卒業生も「海軍予備学生(生徒)」として採用されるようになった(当初は航空科及び整備科にのみ採用されていた)。~
>港湾の盛り場などから人攫い同然に拉致してきて軍役を強要する「強制徴募」が19世紀まで行われていた。~
また、20世紀前半に至るまで、徴用されて損壊・沈没した船舶の補償が行われなかったという事例も散見される。~
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特に[[大東亜戦争]]の時期には、優秀な人材を確保すべく予備学生制度の拡張が行われ、[[艦艇]]や[[陸戦隊>海兵隊]]、基地などで尉官クラスの初級指揮官として従事する「兵科予備学生」、あるいは航空部隊の士官搭乗員として勤務する「飛行科予備学生」の大量採用が実施された。
>これと平行して、海軍の正規将校を養成する[[海軍兵学校>海軍兵学校(日本)]](及び海軍機関学校・海軍経理学校)でも候補生の大量採用と速成教育が行われていたが、予備学生出身の士官は、平時には定員に含めなくてもよいことになっていた((書類上では「任官と同時に[[予備役]]編入の上で即日召集」されたことになっていた。&br;  また、平時の序列では、予備役から招集された士官は同階級の現役士官の下になっていたため、戦争終結後は優先的に[[復員]]させることになっていた。))ため、より多くの人材が採用され、速成教育の上で実戦に投入された。~
特に、戦争終盤に広く行われた[[特攻>特別攻撃]]作戦では、[[予科練]]出身の下士官搭乗員と並んでその中心となり、多くの戦死者を出すことになった。
なお、同時代における民間の船主とて労働契約の実態は似たようなもの、あるいはもっと酷いものだった。~
軍船における正規の船員は民間船より厚遇されていたのが近代までの常であり、平時であれば概ね志願兵のみで船員を充足できたという。

なお、現在の[[海上自衛隊]]にはこうした制度は存在しない。


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