【仮想敵国】(かそうてきこく)

軍事研究における「他国」の同義語。
即ち、軍事研究において、全ての国家は将来的に敵対するものと仮定される。

そもそも軍事紛争解決の手段であるから、紛争が起こりえない場合については言及されない。
しかし当然、「紛争が起き得ない」という油断から警戒を解く事は許されない。
紛争を予期できなかった時には、その失態によって国民の生命と財産が失われるからだ。
たとえ戦争を行う意志がない国だとしても、侵略を受ける危険性について考慮しないわけにはいかない。*1

ただし、戦争を行う事の是非そのものも仮想敵国の研究に左右される。
国家の目的は国の権益の維持であり、平和主義も侵略戦争も等しく手段に過ぎない。
現代は平和主義が極めて重大な意味を持つ時代だが、この潮流が永遠に続く保証はない。
そして、隣国全てが侵略戦争を企図し始めた時、自国だけで平和主義を貫く事は不可能である。

実務としては、仮想敵国の存在は参謀の長期的研究や兵士の訓練、装備の配備計画などに影響する。
即ち、まずどの国と戦う事になるのかを予め仮定しておき、それを前提として軍事行政が動く。
軍隊は予期されていた事態にしか対応できず、あらゆる事態を同時に予期する事はできない。

こうした仮想敵国への対策は、軍事に無知な者の視点から見れば、往々にして徒労であるかのように見えかねない。
しかし、実際には全くの逆である。
二つの国が互いを仮想敵国と定めて軍備の競争に突入した場合、最終的に戦場で勝敗を決する可能性は低い。
勝とうが負けようが損害は発生し、その損害は敵が強大かつ巧妙であるほど多大であるからだ。
よって大抵の場合、互いを仮想敵国と定めた上での戦争は両国に許容不可能な損害を与えるものと予想される。
……そのような状況に置ける最適解は、積極的に宥和外交を試みて戦争を回避する事であろう。

結果だけ見れば「外交的努力によって友好関係を構築した」ように見えるが、実態は逆である。
メディアに配信される「甲・乙両国の首脳が笑顔で話し合う映像」の背後には巨大な軍事力が控えており、どの国の首脳もそれを知っているからこそ、誰も敵意を向けようとしないのだ。

仮想敵国と定める根拠

仮想敵国についてまず第一に把握すべき事は、将来の紛争が何によって生じ得るかである。
当然のことながら、紛争が起きる可能性を無視して良い国は仮想敵国ではない。

国家間で戦争が発生する要因は大きく分けて三つあり、その兆候がある国家が自国にとっての最重要警戒対象となる。

貿易摩擦
領土には経済・産業が栄えている重要な地もあれば、あまり価値のない土地もある。
また、貿易に用いる通商路にも莫大な富を生み出す重要な経路と、あまり価値のない経路がある。
それらは歴史的経緯と地政的な条件が決めるもので、意図的な操作は難しい。富は必ず偏る。
そうした経済格差が生じた時、国家は「経済界の要望」によって好戦的な意志決定を下す事がある。
隣国
兵站は自国で用意されるものであり、自国から離れれば離れるほど負担は甚大になる。
よほど強固な空軍海軍の支えがない限り、国家は本土から離れた「飛び地」を持つべきでない。
よって、どこでもいいから侵略したいと考える場合、真っ先に狙うべきは隣国である。
どこか別の国に狙いを定めたとしても、その戦略においてはまず確実に別の隣国が邪魔になる。
戦争の意志がなかった場合、隣接していれば通商路が存在し、必然的に貿易摩擦が発生する。
隣接している事はそれ自体で戦争のリスクであり、全ての隣国は常に仮想敵国である。
歴史的経緯
近代史における経験則として、民族は世代を越えて憎悪を記憶する事が知られている。
戦争によって国境線が歪に引き直されれば、「正しい位置」に引き直す事を望まれる。
武力によって併呑されたかつての独立国は、再び独立して侵略者を追い出す事を望まれる。
つまり、ある地域で紛争が起きた場合、その戦災は新たな紛争を引き起こす火種となる。

*1 我々は地震に備えて家屋の補強や避難経路の設定を行い、洪水に備えてダムや堤防を作る。望まなくとも起こる可能性があるなら、それに備える点は災害対策と同じである。しかし、何故か人命がかかっているにもかかわらず、政治的な理由で備えが行われないところは軍事特有のものである。

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