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*&ruby(よーくたうん){【ヨークタウン】}; [#k75c96e0]
Yorktown~
アメリカ合衆国に多数存在する地名。~
特にヴァージニア州の、アメリカ独立戦争の勝利を決定付けた「ヨークタウンの戦い」が行なわれた地が知られる。~

+CV-5 USS Yorktown~
アメリカ海軍が『[[レンジャー]]』(CV-4)に引き続き建造した[[航空母艦]]。~
[[アメリカ海軍]]が『[[レンジャー]]』(CV-4)に引き続き建造した[[航空母艦]]。~
『[[レンジャー]]』の[[排水量]]((当時の世界情勢からすれば標準的なトン数だったが、運用性に問題があったため[[艦載機]]輸送や訓練に使われることが多かった))に不満があったため、それを拡大・改良する形で設計された。~
3隻とも、ニューポートニューズ造船所にて起工された。~
なお、2番艦『[[エンタープライズ]]』(CV-6)に続いて建造された『[[ワスプ]]』(CV-7)は、[[ワシントン海軍軍縮条約]]における排水量制限を満たすため、ヨークタウン級を縮小した独自設計となっている。条約失効後には小改良を加えられた3番艦『ホーネット』(CV-8)が建造された。~
~
[[太平洋戦争]]の初期には、これらヨークタウン級と[[レキシントン]]級が日本の空母機動艦隊と対峙する形となった。~
1番艦『ヨークタウン』は[[ミッドウェー海戦]]で飛龍の航空隊の反撃により大破した後に日本潜水艦伊一六八の魚雷2発によって撃沈されている。~
3番艦『ホーネット』はいわゆる「ドゥーリトル爆撃」((1942年4月に敢行された、B-25[[軽爆撃機>爆撃機]]による日本本土[[空襲>空爆]]作戦))に供された後、[[ミッドウェー海戦]]などを生き抜いたが、南太平洋海戦で日本機動部隊第1次攻撃隊及び第3次攻撃隊の航空魚雷・250kg爆弾の集中攻撃を受け大破・炎上し、破棄される。就役からわずか1年と7日のことであった。~
ヨークタウン級で終戦まで生き延びたのは『[[エンタープライズ]]』のみであった。もっとも前述の2艦と同様、戦闘のたびに受ける被害は甚大であった。~
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【スペックデータ】~
|[[排水量]]&br;([[基準>基準排水量]]/[[満載>満載排水量]])|19,800t/25,500t|
|全長|247m|
|全幅|32.7m|
|吃水|7.79m|
|機関|パブコック・ウィルコックス罐・重油焚×9基&br;ウェスティングハウス式ギアードタービン×4基4軸推進(出力120,000shp(90MW))|
|最大速力|32.5[[ノット]]|
|[[航続距離]]|12,500カイリ(15ノット時)|
|乗員|士官、兵員2,217名|
|武装|Mk.12 38口径5インチ(127mm)単装砲×8門&br;75口径1.1インチ(27.9mm)機関砲×4連装4基&br;[[ブローニングM2]] 0.5インチ(12.7mm)機関銃×24門&br;エリコン20mm機関砲×30基(1942年)|
|搭載機|約80〜90機|
|設備|エレベーター×3基|
|レーダー|CXAM-1|
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【同型艦】~
,艦番号,艦名,起工,進水,就役,退役,備考
,CV-5,ヨークタウン&br;(USS Yorktown),1934.5.21,1936.4.4,1937.9.30,1942.10.2,ミッドウェー海戦にて戦没
,CV-6,エンタープライズ&br;(USS Enterprise),1934.7.16,1936.10.3,1938.5.12,1947.2.17,1960.5 解体~
,CV-8,ホーネット&br;(USS Hornet),1939.9.25,1940.12.14,1941.10.20,1943.1.13,南大洋海戦にて戦没
~
+CV-10 USS Yorktown~
[[エセックス]]級[[航空母艦]]の2番艦。~
当初は『ボノム・リシャール』の名前が与えられる予定だったが((この艦名は後にCV-31へ与えられている))、撃沈されたCV-5から襲名することになった。~
初陣は1番艦『[[エセックス]]』などとの共同による南鳥島攻撃であった。~
[[太平洋戦争]]後は予備役だったが、[[朝鮮戦争]]勃発によりSCB-27A改装を受ける。しかし休戦には間に合わず、更にSCB-125改装を受けた。~
1957年には[[対潜空母]]へ艦種変更されてベトナム戦争にも参加、1970年に退役。~
現在は博物館船として公開されている。~
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+CG-48 USS Yorktown~
[[タイコンデロガ]]級[[ミサイル巡洋艦>巡洋艦]]の2番艦。1984年に就役。~
イージスシステム最初期型の「ベースライン0」を搭載した艦は、本艦とネームシップ「[[タイコンデロガ]]」の2隻のみである。~
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1996年より、海軍が主導する「スマートシップ・プログラム」に参加したが、その最中の1997年9月、カリブ海での試験航海中、[[ガスタービン]]エンジンを制御するコンピュータに搭載されていたソフトウェアのエラー((正確には、コンピュータにOSとしてインストールされていたWindowsNTにあった「0を過剰認識してゼロ除算を試みようとする」エラー。&br;  一般の数学的手法では「計算不能」なためエラーとして扱われる。))により、洋上で機関が停止するという事故を起こしている。~
この時、本艦にコンピュータ技術者が不在だったためエラーの修復ができず、2時間半にわたって漂流した挙句、曳航されてノーフォークへ帰港する破目になった。~
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本艦は2004年12月に除籍となっている。~
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