*&ruby(みゅんへんおりんぴっくじけん){【ミュンヘンオリンピック事件】}; [#cca4885a]

1972年9月、旧西ドイツで発生した[[テロ>テロリズム]]事件。~
パレスチナ過激派「ブラック・セプテンバー」のメンバー7名が、ミュンヘンで開催中だった夏季オリンピックの選手村を襲撃、イスラエル代表選手団11名を人質に立て籠った。~
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犯行グループは選手村を襲撃し2名を殺害した後、イスラエル政府に対し、同国に収監されているパレスチナ人234人の釈放を要求した。~
これに対し、西ドイツ政府は、自国民救護のために出動準備をしていたイスラエル軍[[特殊部隊]]の介入を拒否して自力解決を選択。~
最終的に警察との銃撃戦になり、3名を逮捕するも犯人8名のうち5名、人質全員と警察側数人(脱出機の[[操縦士>パイロット]]及び警官1人)が死亡する最悪の結果となり、ミュンヘンオリンピックは一時中止となった。~
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この事件では、テロ対策における様々な教訓が残された。~
以下にその一例をあげる。
-[[狙撃手]]の中には、実際に人間を撃てなかった者がいた。~
それまで、狙撃手の射撃訓練には紙製の円形標的が用いられていたが、訓練で作られたイメージと実際の標的となった人間とでは大きな違いがあり、現場で引き金を引くことが出来なかった。
-配置された狙撃手の数が犯人の数より少なかった。
-狙撃手の中には、「命令に従うこと」にためらいのある者も少なくなかった。~
これはドイツが[[第二次世界大戦]]に敗れた後、占領軍として進駐した[[連合国>連合国(第二次世界大戦)]]が「戦争犯罪人」として逮捕した多くのドイツ軍将兵を「軍の命令ではなく、『自己の良心』に従わなかった」として裁判にかけて処罰しており、また、連合国の占領政策においてもそのことを「否」とする教育が行われていたことから、その心理的影響が大きかった。
-「オートマチック狙撃銃」の必要性が取りざたされた。~
この事件の際、警察が使用した狙撃銃は[[ボルトアクション方式>ボルトアクションライフル]]だったため、狙撃に失敗した後、排莢→次弾再装填→発射の間に大きなタイムラグが生まれ、相手に逃走の余裕を与えてしまうことになった。~
この事件の後、H&K社はオートマチック式狙撃銃「PSG-1」の開発に着手することになる。

この事件を教訓とし、後に西ドイツ政府は各種の法令を制定し、対テロ特殊部隊「[[GSG9]]」を創設した。~
同隊は1977年10月に起きた「ルフトハンザ航空181便[[ハイジャック]]事件」に出動してこれを無事に解決、その能力を実証した。

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