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*&ruby(ふぉーくらんどふんそう){【フォークランド紛争】}; [#pb6fc96e]

|戦争|フォークランド紛争(マルビナス戦争)|
|年月日|1982年3月19日〜1982年6月14日|
|場所|フォークランド(マルビナス)諸島|
|結果|イギリスの勝利 ガルチェリの失脚|
|交戦勢力|イギリス|
|~|アルゼンチン|
|戦力|イギリス側|陸軍10,700名、海軍13,000名、空軍6,000名、艦艇111隻、航空機117機|
|~|アルゼンチン側|陸軍10,001名、海軍3,119名、空軍1,069名、艦艇38隻、航空機216機|
|損害|イギリス側|死者256名、負傷者777名、捕虜115名、駆逐艦2隻、フリゲート艦2隻、揚陸艦1隻、コンテナ船1隻被撃沈、航空機34機|
|~|アルゼンチン側|死者645名、負傷者1048名、捕虜11313名、軽巡洋艦1隻、潜水艦1隻、哨戒艇2隻被撃沈、航空機100機|

1982年、南米・アルゼンチン沖にある英領フォークランド諸島を巡ってアルゼンチンとイギリスが争った戦い。~
アルゼンチン名で「マルビナス戦争」と呼ばれることもある。~
20世紀後半の[[冷戦]]期、東西(米ソ)両陣営の[[代理戦争]]が頻発する中、「西側」と呼ばれる国同士で争った珍しい戦いでもある。~
~
**戦争の経緯 [#u06da8de]
この戦いは、1981年にアルゼンチンの大統領に就任したガルチェリ将軍が、19世紀ごろから英国との間で帰属を巡って争われていたフォークランド諸島の奪取を、国内の不満をそらす目的で始めたことを発端とする。~
アルゼンチン軍は1982年3月、フォークランド諸島から南東1300kmにある英領サウスジョージア島を占拠、翌4月にはフォークランド諸島を占拠し、軍政下に置いた。~
駐在していた総督と60名の海兵隊員は捕虜になった。~
~
これに対し、時のイギリス首相マーガレット・サッチャーは直ちに武力奪還を決定し、民間船舶までも動員((当時、英国が保有していた豪華客船「クイーン・エリザベス2」も輸送艦として海軍に徴用されていた。))した大規模な軍事行動を発動した。~
4月25日にサウスジョージア島へ[[海兵隊]]が上陸、これを奪回した。~
~
そして5月になると英軍の本格的な反撃が始まった。~
まず「チャーチル」級攻撃原潜「コンカラー」がアルゼンチン[[巡洋艦]]「ヘネラル・ベルグラーノ」を撃沈、以後のアルゼンチン海軍の行動を大きく牽制した。((このため、アルゼンチン海軍は唯一の空母「ベインテシンコ・デ・マヨ」を温存する方向に転換。搭載していた[[A-4]]及びシュペル・エタンダールを陸揚げして陸上から展開させた。))~
続いて、本土から[[空中給油]]を繰り返して飛んできた[[バルカン]]爆撃機や[[空母]]に搭載された[[ハリアー]]により、フォークランド諸島等への爆撃が開始された。~
その間に、英側の防空網を突破したアルゼンチン空軍の「シュペル・エタンダール」[[攻撃機]]が発射した[[空対艦ミサイル]]・[[AM-39>エグゾセ]]が[[駆逐艦]]「シェフィールド」に命中し撃沈。~
これ以後、英艦隊は完全な対空哨戒ができない場合は常に[[チャフ]]を放つようになった。~
~
5月21日、英海兵隊は東フォークランド諸島へ上陸し、数日後に制圧。~
このころ、アルゼンチン攻撃機が英艦隊や[[ハリアー]]と交戦し、アルゼンチン軍機が多数撃墜されている。~
6月5日、ついにフォークランド本島へ英軍が上陸作戦を決行、首都ポートスタンリーへ前進。~
そして6月14日、現地のアルゼンチン軍が英軍に[[降伏]]し、戦闘は終結した。~
双方の政治的な配慮によって、フォークランド諸島以外への戦闘区域拡大は避けられた。~

**主な戦訓 [#m0d10f3c]
この戦争は、その後の軍事技術に大きな影響を与えたいくつもの戦訓を残した。~
以下にその一例をあげる。~

-[[早期警戒機]]の支援がない[[艦艇]]の脆弱性が再認識されるとともに、[[対艦ミサイル]]の有効性が確認された。~
この戦争前の1978年、英国海軍は[[正規空母]]を全廃し、搭載していたフェアリー「ガネット」[[早期警戒機]]を退役させていた((同じく搭載されていた「[[ファントム>F-4]]」[[戦闘爆撃機]]・「バッカニア」[[攻撃機]]は[[空軍>RAF]]へ移籍した。))。~
そのため、固定翼機を運用できない[[STOVL空母]]が主力だった英艦隊は航空脅威の探知で大きく遅れを取るはめになった((戦後、イギリス海軍はこれを教訓として、[[シーキング>SH-3]]の早期警戒型を開発して運用している。))。~
また、戦場が本国から遠く離れていたため、陸上基地からの支援も限定的なものでしかなかった。~
~
-[[アルミ>アルミニウム]]素材を兵器に使用することの危険性が判明した。~
駆逐艦「シェフィールド」に[[エグゾセ]]が命中し、沈没した戦闘の経過を分析したところ、同艦に命中したエグゾセ((ただし、弾頭は[[不発]]だった。))の[[固体燃料ロケット]]に残っていた未燃焼の燃料が艦上で燃焼したことで、船体の[[アルミ>アルミニウム]]素材が融点を超えて劣化し、強度を失って沈没に繋がったことが判明した。~
当時、戦闘艦艇にも(軽量化のためとして)アルミ合金を使用していたものがあったが、これ以後、各国はこの方針を転換することになった。~
~
-[[STOVL空母]]の有効性が確認された。~
この戦争に参加した英国の[[STOVL空母]]「[[インビンシブル]]」「ハーミズ」は、上述のように[[早期警戒機]]を搭載できない欠点はあったものの、搭載された[[ハリアー]]・[[シーハリアー]]の高い能力もあって、英軍の海上・[[航空優勢]]確保に大きな貢献を果たし、[[STOVL空母]]の有効性を証明した。~
そして戦後、米国のように正規空母を保有・運用できない中小国の海軍が、[[ハリアー]]と共に[[STOVL空母]]を導入するケースがいくつか現れた。~
~
-超長距離からの[[狙撃]]に対応できる[[対物ライフル]]が開発されるきっかけになった。~
アルゼンチン軍は[[M2>ブローニングM2]]重機関銃にスコープを付け、簡易[[狙撃銃]]としてイギリス軍を迎え撃った。~
対するイギリス軍は、あまりにも遠い位置からの狙撃に手持ちの銃器ではまったく歯が立たず、陣地攻撃のために高価な[[対戦車ミサイル]]を投入せざるを得なくなったという。


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