【ノースアメリカン】(のーすあめりかん)

ノースアメリカン・アビエーション・インク(North American Aviation, Inc.)

かつて存在した、アメリカ合衆国の航空機メーカー。
当初、1928年にクレメント・キースが航空会社の株を売買する持株会社として創業。
その後、1933年にゼネラルモーターズ?が株式を取得して傘下のゼネラル・アビエーション部門(General Aviation division)*1と合併させる*2

1934年には航空郵便法の成立にともない、ダグラスからジェームス・キンデルバーガーを雇って航空機製造事業に乗り出した。
以降は会社をカリフォルニア州へと移し、既存メーカーと競合しない練習機の生産をめざし、GA-15観測機、GA-16練習機などを製作した。
第二次世界大戦にともない同社も業務を拡大し、ダラスやカンザスシティにも工場を設置していく。

傑作レシプロ練習機・T-6「テキサン」を17,000機製造した他、ジミー・ドーリットルのドーリットル空襲で有名なB-25「ミッチェル」中型爆撃機やP-51「ムスタング」戦闘機を製造。
特にP-51は、第二次世界大戦におけるアメリカ最高の戦闘機だと言われている。

第二次世界大戦の終結に伴い従業員数は10分の1以下にまで減少したが、B-45「トーネード」の製造などにより航空機製造を継続する。
FJ-1「フューリー」を再設計したF-86「セイバー」は、製造総計9,000機以上となる戦後のベストセラーになっている。

1967年にロックウェル?社と合併し、ノースアメリカン・ロックウェル(North American Rockwell Corporation )と社名を変更。
ロックウェル傘下に入った後も、B-1「ランサー」スペースシャトルオービター(ノースアメリカン時代から開発に関与)、GPS衛星の主要部などを製造。
1984年には、1955年に分社化していたロケットダイン?を再度合併している。
再合併の時点でロケットダインはアメリカのロケットエンジンの大部分を製造しており、ノースアメリカンは宇宙分野でのトップ企業に名を連ねることになる。

しかし、1996年にロックウェル・インターナショナルはノースアメリカンとロケットダイン部門をボーイングに売却し、ノースアメリカンの名前は消える事となった。

主要な製造機体

戦闘機FJ-1「フューリー」
FJ-2/FJ-3「フューリ」
FJ-4「フューリ」
P-51「ムスタング」
P-64
F-82「ツインムスタング」
F-86「セイバー」
YF-93A
F-100「スーパー・セイバー」
F-107
XF-108「レイピア?」(計画中止)
攻撃機AJ(A-2)「サヴェージ」
XA2J「スーパーサヴェージ」(試作のみ)
A-5「ヴィジランティ」
A-27(T-6の攻撃機型)
爆撃機XB-21(試作のみ)
B-25「ミッチェル」
XB-28「ドラゴン」(試作のみ)
B-45「トーネード」
B-64(SM-64)「ナバホ」
XB-70「ヴァルキリー」
A-36「アパッチ」(P-51急降下爆撃機型)
B-1「ランサー」
練習機BT-9/BT-14
T-2「バックアイ」
BC-1/T-6「テキサン」
T-28「トロージャン」
T-39「セイバーライナー」
連絡機/COIN機O-47
OV-10「ブロンコ」
実験機X-10(巡航ミサイル試験機)
X-15
無人標的機MQM-42「レッドヘッド/ロードランナー」
宇宙関連アポロ指令・機械船(CSM)
North American DC-3(再使用型宇宙往還機)
スカイラブ救出船
ミサイル・ロケットAGM-28「ハウンド・ドッグ」
AGM-64「ホーネット」(試作のみ)
RTV-A-3"NATIV"
SM-64「ナバホ」
S-II(アポロ計画で使用されたサターンV型ロケットの第二段ロケット)
リトル・ジョー(マーキュリー宇宙船の緊急脱出用ロケット実験機)
リトル・ジョーII(アポロ宇宙船の司令船降下装置と緊急脱出用ロケットの性能試験機)



*1 1930年、ゼネラルモーターズがデイトン・ライト・カンパニー(Dayton Wright Company)とフォッカー?の米国支社だったアトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカを買収して設立した部門。
*2 1948年にゼネラルモーターズはノースアメリカンの株式を売却し、航空機関連事業から撤退している。

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