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*&ruby(とんきんわんじけん){【トンキン湾事件】}; [#n282226d]
[[アメリカ軍]]が[[ベトナム戦争]]へ本格参戦するきっかけになったとされる事件。~
[[アメリカ軍]]がベトナム戦争へ本格参戦するきっかけになったとされる事件。~
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アメリカ政府は、1964年8月2日に米海軍の[[駆逐艦]]「[[DD-731 マドックス>アレン・M・サムナー]]」が、トンキン湾の[[公海]]上を航行中に北ベトナム軍のものと思われる[[P-4型]][[魚雷艇]]3隻から[[雷撃]]と機関銃攻撃を受け、[[空母]]「[[タイコンデロガ]]」に搭載された[[F-8E>F-8]]の支援でこれを撃退したと発表した。~
続く8月4日にも再び「マドックス」および援護の[[駆逐艦]]「[[DD-951 ターナー・ジョイ>フォレスト・シャーマン]]」が[[雷撃]]を受けたと発表。~
8月5日、[[報復]]として「[[タイコンデロガ]]」の[[F-8E>F-8]]・[[A-4C>A-4]]および[[空母]]「[[コンステレーション>キティホーク]]」の[[F-4B>F-4]]が北ベトナムの[[魚雷艇]]基地などを攻撃した。この軍事行動はピアース・アロー作戦と称され、[[F-4]]の初陣となった。~
アメリカ政府は、1964年8月2日に米海軍の[[駆逐艦]]「マドックス(DD-731)」が、トンキン湾の[[公海]]上を航行中に北ベトナム軍のものと思われるP-4型魚雷艇3隻から[[雷撃]]と機関銃攻撃を受け、[[空母]]「[[タイコンデロガ]]」に搭載された[[F-8E>F-8]]の支援でこれを撃退したと発表した。~
続く8月4日にも再び「マドックス」および援護の[[駆逐艦]]「ターナー・ジョイ((DD-951)」が[[雷撃]]を受けたと発表。~
そして8月5日、これらの攻撃に対する[[報復]]として「[[タイコンデロガ]]」の[[F-8E>F-8]]・[[A-4C>A-4]]および[[空母]]「[[コンステレーション>キティホーク]]」の[[F-4B>F-4]]が北ベトナムの魚雷艇基地などを攻撃した。この軍事行動はピアース・アロー作戦と称され、[[F-4]]の初陣となった。~
これに対し北ベトナム政府は、~
「2日の[[雷撃]]はマドックスが北ベトナム[[領海]]における諜報活動や[[領土]]に対する砲撃などをおこなっていたことに対する自衛のための攻撃である」~
「2日の[[雷撃]]は、マドックスが北ベトナム[[領海]]における[[諜報活動>スパイ]]や[[領土]]に対する砲撃などをおこなっていたことに対する自衛のための攻撃である」~
「4日には[[雷撃]]そのものをおこなっていない」~
などと反論した。~
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8月7日には連邦議会が大統領の戦時権限を認める決定、いわゆる「トンキン湾決議」を採択する。~
それまではあくまで南ベトナム軍を支援する立場をとっていたジョンソン政権だったが、これをきっかけに[[北爆]]などの積極的な直接攻撃をおこなうようになり、[[ベトナム戦争]]は泥沼化への道を歩むことになる。~
それまではあくまで南ベトナム軍を支援する立場をとっていたジョンソン政権だったが、これをきっかけに北爆などの積極的な直接攻撃をおこなうようになり、ベトナム戦争は泥沼化への道を歩むことになる。~
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なお、戦争末期にペンタゴンペーパーと呼ばれる機密書類が流出し、この事件はアメリカが参戦の口実を得るための陰謀であったとされた。~
後年、事件当時の米国防長官であったロバート・S・マクナマラは、8月4日の[[雷撃]]が存在しなかったことを認めている。~
**その後 [#bcbbc2bc]
戦争末期、ペンタゴンペーパーと呼ばれる機密書類が流出し、この事件はアメリカが参戦の口実を得るための陰謀であったとされた。~
後年、事件当時の国防長官であったロバート・S・マクナマラは、8月4日の[[雷撃]]が存在しなかったことを認めている。~
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8月2日までの「マドックス」の動向については、~
「当初から全面的にアメリカ側の陰謀だった」~
「当時は[[領海]]を海岸から3海里とするか12海里とするかで国際的な論議があり、両国の間で食い違いがあった」~
「当時は[[領海]]を海岸から3[[海里]]とするか12海里とするかで国際的な論議があり、両国の間で食い違いがあった」~
「砲撃をおこなったのは南ベトナムの艦だったが、それがマドックスと誤認された」~
など諸説がある。


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