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*&ruby(ちぇ・げばら){【チェ・ゲバラ】}; [#x4fca0bf]
Ché Guevara(1928〜1967)本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。革命家。[[ゲリラ]]指導者。医学博士。チェとはスペイン語で呼びかけの慣用句であり、ゲバラ本人が多く用いた為に周囲がチェ・ゲバラとして敬愛を込めて呼んだとされる~
Ché Guevara(1928〜1967)~
~
アルゼンチン出身の革命家・[[ゲリラ]]指導者・医学博士。~
本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。~

ゲバラは1928年に造船業を営む家庭の子としてアルゼンチンの都市ロサリオにて生まれる。ゲバラは自らが喘息持ちであった事もあり、1948年にブエノスアイレス大学の医学部へと入学する。
>「チェ」はスペイン語のアルゼンチン方言で、砕けた挨拶に意味する単語である。~
なので、「チェ・ゲバラ」を日本語に訳せば「よう、ゲバラだぜ」となる。~
本人がこういう挨拶をしているのを、外国人が意味もわからず真似してゲバラ個人の異名になったのだという。

革命家としては珍しくポジティブな意味で有名な人物で、特に当時の若者世代からの評価が高い。~
Tシャツのデザインやアーケードゲームのキャラクターとして登場した事もあり、一種の偶像としても知られる。

1951年ゲバラは大学を6年の課程を3年で終わらせるという大変優秀な成績で卒業し、医学博士となったが、当時のペロン政権下で軍医として徴用されるのを嫌い、ボリビアへ行き、南米諸国を渡り歩いた後、メキシコにてフィデル・[[カストロ]]に出会いキューバの反バティスタ武装[[ゲリラ]]闘争への参加を決意する。
> 個人・政治家としては失脚した末に悲劇的末路を辿っている。~
これは逆説的に、成功した革命家にありがちな「後半生における腐敗政治」と無縁なまま他界したという事でもある。

とはいえ、革命家としての経歴上、特に保守派層やキューバ出身者からの評価は必ずしも良好でない。~
曰く、ゲバラは「強制収容所で大量虐殺を行い、子どもを最前線に送り込んだ変質者」であるという。~
事実、ゲバラは多くの少年兵と関わり、600人あまりの処刑を指揮し、政治犯収容所を建設した。~
また、ゲバラは[[紛争]]の中心人物であり、定義上の[[テロリスト]]であった事も疑いない。~
とはいえ、[[紛争]]上の必要性を超える異常・残忍なエピソードは特に知られていない。

1956年[[カストロ]]らと共に[[ヨット]]、グランマ号にてキューバに潜入する。潜入後は[[ゲリラ]]部隊の指揮官として、革命戦に参加。2年以上の革命戦を経て、バティスタ政権の打倒、革命政権の樹立に成功する。
**略歴 [#f4114de2]
:1928年|アルゼンチンの都市ロサリオにて、造船業者の息子として誕生。
:1948年|ブエノスアイレス大学の医学部に入学。
:1951年|6年分の課程を3年で終わらせて卒業し、医学博士号を取得。&br;卒業後、当時のペロン政権下で軍医として徴用されるのを嫌ってボリビアへ渡航。&br;その後、南米諸国を渡り歩く。
:1955年|メキシコにて、キューバ[[反政府ゲリラ>テロリズム]]組織「7月26日運動」に参画。&br;いったん壊滅した7月26日運動の再結成に立ち会った82名の革命家の一人となる。
:1956年|[[フィデル・カストロ]]らと共にヨットでキューバに潜入。&br;潜入後は[[ゲリラ]]の指揮官として[[紛争]]に参加。~
:1959年|バティスタ政権を打倒し、政権樹立に成功。&br;政権内では国立銀行総裁など要職を歴任。
:1964年|[[国際連合]]総会にキューバ主席として出席・演説を行う。
:1965年|[[カストロ>フィデル・カストロ]]との不和を理由にキューバ政権から離脱。&br;アフリカに渡航して再び[[ゲリラ戦]]を指揮したが、目立った戦果は挙げられなかった。
:1967年|潜伏中のボリビアで拘束され、その2日後に大統領命令によって処刑。享年39歳。&br;この最期は[[CIA]]の手引きによる[[暗殺]]ではないかと言われている。


ゲバラは革命政権内で国立銀行総裁など要職を歴任し、1964年にはニューヨークで[[国際連合]]の総会にてキューバ主席として演説をした。だが、次第に[[カストロ]]と意見が合わなくなり、1965年にキューバを離れ、アフリカにて[[ゲリラ]]戦を指揮する。余り目立った戦果を上げないまま、諸国を廻った後の1967年10月7日、潜伏中のボリビアで拘束され、2日後の10月9日に大統領命令にて銃殺された。享年39歳であった。
 
生前、ゲバラは主にゲーテを好み「ゲバラ日記」等、いくつかの著書を出すなどインテリ的な側面も見せている。

ゲバラのキャラクター性は当時の西側諸国の若者の心を掴み、Tシャツのデザインなどに多く用いられた。ちなみにその後、SNK(新日本企画)により「ゲバラ」としてゲーム化され、
1987年にアーケード版が、1988年にファミコン版がアーケード版の各所をアレンジして発売されている。この作品はアクションゲームで1Pはゲバラ、2Pはカストロを操作し、バティスタ政権の圧政に苦しむキューバを解放するといった内容になっている。現在、「ゲバラ」のファミコン版は中古ゲーム市場にて高値で取引されている。


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