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【チェ・ゲバラ】
Ché Guevara(1928〜1967)本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。革命家。ゲリラ指導者。医学博士。
1928年に造船業を営む家庭の子としてアルゼンチンの都市ロサリオにて生まれる。自らが、喘息持ちであった事もあり1948年ブエノスアイレス大学の医学部へと入学する。
卒業後の1948年、当時のペロン政権下で軍医として徴用されるのを嫌い、ボリビアへ行き、南米諸国を渡り歩いた後、メキシコにてフィデル・カストロに出会いキューバの反バティスタ武装ゲリラ闘争への参加を決意する。
1956年カストロらと共にヨット、グランマ号にてキューバに潜入する。潜入後はゲリラ部隊の指揮官として、革命戦に参加。2年以上の革命戦を経て、バティスタ政権の打倒、革命政権の樹立に成功する。
ゲバラは革命政権内で国立銀行総裁など要職を歴任し、1964年にはニューヨークで国連総会キューバ主席として演説をした。だが、次第にカストロと意見が合わなくなり、1965年にキューバを離れ、アフリカにてゲリラ戦を指揮する。余り目立った戦果を振るわないまま、諸国を廻った後の1967年10月7日、潜伏中のボリビアで拘束され、2日後の10月9日に大統領命令にて銃殺された。享年39歳であった。
生前、ゲバラは主にゲーテを好み「ゲバラ日記」等、いくつかの著書を出すなどインテリ的な側面も見せている。
ゲバラのキャラクター性は西側諸国の若者の心を掴み、Tシャツのデザインなどに多く用いられた。ちなみにその後、1987年にSNK(新日本企画)により「ゲバラ」としてアーケードゲーム化され、1988年発売のファミコン版は現在高値で取引されている。