【タラーン】(たらーん)

ロシア語:Таран
独ソ戦においてソ連軍で多く行われた、戦闘機などによる敵軍の飛行機を対象とした体当たり攻撃。

最初の体当たり攻撃は、1914年にロシアのパイロットによって行われた。
以降、これはロシア/ソ連で「タラン戦術」として定着、スペイン内戦、日中戦争の支援時、ノモンハン事変、そして独ソ戦などで行われた。

タラーンには少なくとも3種類の方法があった。
1つ目は、プロペラをもって方向舵を破壊するもの。
技量は必要だが最も安全であり、場合によっては飛行しての帰還も可能であった。

2つ目は、自機の翼で敵機の舵や翼を破壊するもの。
一部を損傷するが、原形をとどめる事は多く、こちらも帰還や不時着が出来る事もあった。

3つ目は、機体ごと相手に体当たりするもの。
上記の2つが行えない状況や、それらに失敗した場合はこれとなる。
非常に危険であり、これを行う場合生存は見込めないとされる。

タラーンは戦術・戦法の一つであり、強制やこの攻撃専門の部隊が組織されることは無かった。
また、1944年に禁止令が公布された後も、一部のパイロットによって行われている。

複数回タラーンを行ったパイロットは数十名おり、中でもボリス・コブザンは最多となる4回のタラーンに成功している。

独ソ戦におけるタラーンの件数は500を超えるが、そのうち無事基地へ帰還・不時着したものは233機で、パラシュートで脱出したものは176機、死亡が216機、行方不明が11機となっている。
この統計によると、タラーンの生還率は64%となっており、生還は必ずしも絶望的ではなかったと言える。


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