*&ruby(じーぷ){【ジープ】}; [#k509a000]
Jeep.~
1940年代、[[アメリカ陸軍]]の要請によって同国の自動車メーカー「ウィリス・オーバーランド社」と「アメリカン・バンタム社」が生産した四輪駆動式の汎用小型トラック。~
「ジープ」の名は、当初に同車の生産を担当したウィリス・オーバーランド社が登録商標としていたが、その後の企業合併や買収でいくつもの企業を転々とした結果、現在はクライスラー社が商標権を保持している((一方、この言葉自体は、同車と類似した民生用のクロスカントリー車や小型軍用車輌を包括して呼ぶ言葉として定着している。))。~
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簡素な構造と優れた耐久性((当初、軍が要求したスペックには「[[地雷]]を踏んでタイヤ4本のうち2本を失っても、残る2輪とスペアタイヤで100km走行できること」「車載工具で全ての修理ができること」があったという。))、悪路や急勾配に強い走破性能から、1940年に生産が開始されて以来、[[第二次世界大戦]]の期間中に約60万台、戦後も1960年代半ばまでに10万台以上生産され、[[軍馬]]や[[軽戦車>戦車]]・[[豆戦車]]の代替として、前線での偵察・警戒・連絡や小規模な人員・物品の運搬など幅広く用いられ、同大戦における[[アメリカ軍]]の勝利に大いに貢献した。~
また、アメリカ本国のみならず、フランス・インド・日本(後述)・中国・韓国でも下請及び[[ライセンス生産]]された他、旧ソ連ではレンドリースされてきた同車を[[デッドコピー]]して「GAZ-67/67B」として生産され、ミャンマーでも「ミャンマー・ジープ」として生産されている。~
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関連:[[73式小型トラック]] [[M151]]

**日本における発展 [#l0b042ff]
日本に本車がもたらされたのは、[[大東亜戦争]]開戦初頭のフィリピン攻略戦が契機であった。~
この戦いで、遺棄されたバンタム社製の車輌が[[日本陸軍>日本軍]]に[[鹵獲]]され、内地に[[後送]]された。~
そしてこれをトヨタ自動車が[[デッドコピー]]し、1944年に「四式小型貨物車(社内呼称AK-10)」として制式採用されたが、その頃には極度の資材・労働力不足によって生産が滞り、ほとんど活躍できなかった((トヨタは戦後になって「トヨタ・ジープ」「ランドクルーザー」といった四輪駆動車を作ったが、このAK-10との設計上の接点はない。))。~
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終戦後、1950年代になって「新三菱重工」(後の三菱自動車)が[[警察予備隊]]に納入するため、ウィリス社製の「CJ」モデルを「三菱・ジープ」の名で[[ノックダウン生産]]を開始。~
その後、国内独自開発のモデルも加えて民間にも広く売り出され、[[陸上自衛隊]]や[[航空自衛隊]]に「[[73式小型トラック]]」の名で納入されたモデルもあったが、[[防衛庁]]が納入を打ち切った((これには、年々強化された排気ガス規制や衝突安全性への対応、居住性や操縦安定性の問題などがあり、既存のモデルの改良では限界があると判断されたためだという。))ため1998年に生産終了となった。

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