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- シャルル・ド・ゴール へ行く。
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【シャルル・ド・ゴール】 †
- Charles André Joseph Marie de Gaulle
(長いですが人名です:シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール)
第二次世界大戦で一躍有名になったフランス陸軍の将軍(1890年生〜1970年没 リール出身)
1940年、フランスの首都パリがドイツ軍の侵攻で陥落、時の政権はドイツの傀儡政権と言われており早々にドイツとの停戦協定に入った。
これに反発したシャルル・ド・ゴールはイギリスに渡り、「自由フランス」としてレジスタンス活動を開始。フランス国民に向けてドイツに対する抵抗運動を呼びかける一方、海外植民地の大半を味方に付け自ら自由フランス軍を組織した。
イギリスの作戦に加わりながら徐々に勢力を拡大した自由フランス軍は、1944年6月のノルマンディー上陸作戦で4年越しの帰国を果たすとそのまま快進撃を続け、8月にはフランス三色旗を掲げパリに突入、熱狂の元パリ市民に迎えられた。
9月には暫定政権が誕生し、シャルル・ド・ゴールが大統領に就任。
1947年に正式な政権が樹立した際には一旦は退くものの、戦後の混乱の中フランスの国連常任理事国入りに尽力した。
1958年に大統領に就任すると、冷戦構造下において米ソと対等の立場として第3の勢力として存在感を示すなど、今日のフランスの地位を確立した。
1969年に大統領を辞任し、翌年に亡くなった。
フランスでは彼の功績を称え、その名を冠した原子力空母(後述)と国際空港がある。
- Porte-avions Charles de Gaulle
フランス海軍が導入した10番目の空母であり、同海軍初の原子力空母*1。
現在、フランス海軍の旗艦を務めており、地中海を臨むトゥーロン軍港を母港としている。
当初の名称は「リシュリュー」であったが、後に当時のフランスの首相の介入によってシャルル・ド・ゴールに変更された逸話を持つ。
空母としての能力は、アメリカの空母の丁度半分に当たるカタパルト2基、エレベーター2基、艦載機数約40機となっている。
性能諸元 艦種 シャルル・ド・ゴール級原子力空母 全長 261.5m 水面長 238m 全幅 64.36m 水面幅 31.5m 飛行甲板幅 64.4m 吃水 8.5m〜9.4m 排水量
(基準/常備/満載)36,600t/38,085t/40,600t 機関 K-15型 加圧水型原子炉×2基
ボイラー+蒸気タービン×2基 2軸推進出力 41,500hp 最大速力 27ノット以上 兵装 シルヴァー(SYLVER)VLS×4基32セル(アスター15×32発)
ミストラル? 6連装短SAM発射機×2基
GIAT 20F2 20mm単装機関砲×8門艦載機 40機
(ラファールM・シュペルエタンダール・E-2C・シュペルフルロン?・AS565 パンサー/NH90)乗員 1,950名(1,400名+航空要員550名)
同型艦 艦番号 艦名 主造船所 起工 進水 就役 母港 R91 シャルル・ド・ゴール
(Porte-avions Charles de Gaulle)DCNS
(造船役務局)1989.4.14 1994.5.7 2001.5.18 トゥーロン